北米

2024.01.11 09:30

米国人が溺愛する、大谷翔平の「憧れない」という決心

石井節子

「憧れるのをやめましょう」

一方で、大谷本人が直接関与し、影響を及ぼすことがあった。

2022年の3月、野球における晴れの国際舞台WBCの決勝戦でのこと。前回優勝のアメリカ代表チームとの対戦に臨もうとするなか、ロッカールームでチームメイトを前にし、大谷は落ち着いた様子で口火をきった。

「憧れるのをやめましょう」

試合相手は、大谷が当時所属したエンジェルズの盟友で、アメリカ代表のキャプテンを務めるマイク・トラウトを筆頭に、ポール・ゴールドシュミット、ムッキー・ベッツなど人気実力ともにエリート選手が揃う布陣だ。野球発祥の国、そして最高峰と称されるメジャー・リーグで活躍する強者たちを目の当たりにすれば、萎縮し、普段の力を発揮できない状況も予想される。

しかし、ひとたびグラウンドに立てば同じ野球人、同じ人間である認識を、自身も同リーグのスーパースターである大谷が告げたのは、日本代表の選手たちにとって大きな励みとなったはずだ。試合の最後にマウンドで、トラウトとの対決を制した大谷とともに戦い、彼の言葉に鼓舞されたチームメイトたちは、持ち味を生かし、のびのびとプレーし、大会優勝という頂上に達したのはご存知のとおりである。

「自分なりに」がベストを引き出す

このエピソードはまた野球だけに留まらず、すでに確立される社会の規範や優位性に新たな光をあて、見直す機会を与えたようにも個人的に感じる。たとえば、英語という言語だ。

学校で学んできた言語というのもあって、ぼくにとって英語は一時期、上手に使いこなすお手本がいる世界であり続けた。アメリカやイギリス、それ以外の英語圏の人たちのように、自在に言葉を運用できることへの“憧れ”を少なからず持っていた。

ところがここ10年あまり、自分なりの英語、というものを考えるようになった。文法通りでなく、言い回しが理にかなっていなくても、思いが相手に伝わり、コミュニケーションが図れるなら、それは誰のものでもなく「ぼくの英語」なのだ、そう思うようになってきた。もちろんそれは、異人種が混在する街ニューヨークに長年暮らし、様々な英語を耳にする場数を踏んできたことに由来するが、憧れを捨て、自分の野球を追求する大谷のアプローチはそんな思いを強固にした。

日本でも名が知られるジャーナリスト、故デイヴィッド・ハルバースタムにインタビューしたとき、「スポーツは社会の合わせ鏡」という言葉を聞いたが、時代とともに、スポーツ、さらには社会も変化する。日本、そしてアジアから出て、野球の本場アメリカで八面六臂の活躍をする大谷の登場は、他国の情報が瞬時に海を渡り、人と人の交流が活発となる多様化の時代が要請したようにも映る。

先日、ニューヨーク・タイムズの別の記事で、大谷をエンターテインメント界で多大な影響力を示すテイラー・スウィフトと同列に扱う記述を見つけたが、ことアメリカに限って言えば、彼の存在は、もはや野球の枠で括りきれなくなった印象さえある。稀に見る才能に表現する言葉が見当たらないとされる大谷翔平だが、となれば、彼の人物像を語る残された表現は、スウィフトのように、誰をも引き寄せるカルチャー・アイコン(cultural icon)くらいだろうか。


著者が校長を務める、ニューヨーク リセ・ケネディ日本人学校にて

著者が校長を務める、ニューヨーク リセ・ケネディ日本人学校にて


新元良一◎1959年神戸生まれ。作家。リセ・ケネディ日本人学校校長。1984年にNYCへ移住、22年間暮らした後に帰国。2006年、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の大学教員に着任。2016年に再び活動拠点をNYCへと移し、2022年より現職。主な著書に、『あの空を探して』(文藝春秋)、『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社)。インスタグラム:riyoniimoto.tracks

文=新元良一 (編集=石井節子)

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