いつも同じ場所に置いてある車のキーと小銭をつかみ部屋を出ると、スカイツリーが見える。アパートのすぐ前にある自動販売機で缶コーヒーを購入し、駐車してある軽自動車に乗り込む。男の仕事は、公衆トイレの清掃員だ。
まだ朝は早い。清掃道具を積み込んだ車のハンドルを握りながら、男は古いカセットテープを取り出し、車内に音楽を流す。曲は昔のヒット曲、アニマルズの「朝日のあたる家」だ。連絡用の携帯はガラケーで、いつもフィルムカメラを持参している。
映画「PERFECT DAYS」は、そんな主人公の日常を丹念に描写していく。次の日も、男は判で押したように、同じ朝のルーティンを繰り返す。わずかに異なるのは、カセットテープで流す音楽。この日はオーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」だ。
男は「職場」である公衆トイレに着くと、一心不乱に「仕事」に取り組む。遅れてやってきた若い同僚にも構うことなく、ほとんど無言で次々と便器を磨いていく。その仕事ぶりはまさにプロフェッショナルだ。この冒頭シーンだけで、すでに「PERFECT DAYS」という作品に引き込まれていく。
役所広司演じる主人公の平山 /(c) 2023 MASTER MIND Ltd.
ヴェンダース監督の確かな観察眼
映画「PERFECT DAYS」は今年5月、第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で最優秀男優賞に輝いた。賞は主人公の男、平山を演じた役所広司に贈られたものだ。作中で役所は無口でほとんど言葉を発しない公衆トイレの清掃員の役柄を、見事に成り切って演じていた。まさに最優秀男優賞にふさわしい卓抜した演技だった。
役所の演技もさることながら、この東京を舞台にした作品を監督したのが、数々の傑作を送り出し、世界的にも評価の高い名匠ヴィム・ヴェンダースだというのも、驚きだ。
ヴィム・ヴェンダース監督
ヴィム・ヴェンダース監督は、1945年、ドイツのデュッセルドルフ生まれ。1970年代にニュー・ジャーマン・シネマの旗手として登場し、第37回カンヌ国際映画祭では「パリ、テキサス」(1984年)が最高賞のパルム・ドールを受賞。その後、「ベルリン・天使の詩」(1987年)や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)などの作品を送り出す。