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2023.10.31 18:00

古さと新しさの混在が「銀座」の魅力、大手デベロッパーの開発はナシ

1930年に刊行された「大東京写真帖」には銀座周辺の写真が多く掲載されているが、その中の「新橋からみた帝都の心臓銀座通り」という写真がカラーでなおかつ現在と比較しやすくてよい。

通りの右手にある大きなビルは松坂屋。左には「菊水商店」がある。この菊水は今でも喫煙具の店として現存する。『大東京寫眞帖』,[出版者不明],[1930]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3459985(参照 2023-09-17)

通りの右手にある大きなビルは松坂屋。左には「菊水商店」がある。この菊水は今でも喫煙具の店として現存する。『大東京寫眞帖』,[出版者不明],[1930]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3459985(参照 2023-09-17)

1903年創業の菊水。喫煙具の店だ

1903年創業の菊水。喫煙具の店だ

2ブロックを丸々ビルにしたGINZA SIXを抜けると、7丁目である。

銀座7丁目といえば、ビヤホールライオン。明治39年にビール会社3社が合併してできた大日本麦酒会社が昭和9年(1934年)に6階建ビルを建てその1Fをビヤホールにしたのが始まりだ。現存する日本最古のビヤホールであり、建物は国の登録有形文化財に指定された。そしてそのビヤホールは創業当初の内装やそれを代表する壁画が現存しており、今でも普通にビヤホールとして楽しめる。

銀座8丁目に入るとなんといっても資生堂。1872年に日本の初の民間洋風調剤薬局として開業。その後、化粧品業界へ進出したのみならず、1902年に薬局内に「ソーダファウンテン」を設けたのだ。資生堂パーラーの始まりである。

ソーダファウンテンはドラッグストアなどにおかれたソーダ水を作る装置。創業者の福原有信が米国のソーダファウンテンを観て、ソーダ水やアイスクリームを店頭でさっと出せるモダンなシステムを作ったのである。人気が出るのもわかるというものだ。それが資生堂パーラーで、今は気軽に入れるような雰囲気の店ではないけれども、1Fでは資生堂パーラーオリジナルのケーキや菓子を購入できる。

さて、京橋の「煉瓦銀座の碑」で銀座散歩が始まったので最後も煉瓦ネタで締めたい。

銀座八丁目の銀座通りの1本西側の通り。ここは金春通りと名づけられている。室町時代に成立した猿楽(今の能楽)は幕府や、その後の豊臣秀吉に保護され、江戸時代になると猿楽を好んだ家康が幕府直属の役者として江戸に屋敷を与えたのである。そのうち、観世流は銀座2丁目(銀座役所から街道を挟んだ向かいあたり)に、金春流は銀座8丁目に屋敷を拝領した。江戸切絵図にも金春屋敷と書かれている。

嘉永2年の江戸切絵図より、銀座8丁目(出雲町)あたり。金春屋敷とある(『〔江戸切絵図〕』築地八町堀日本橋南絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286660)

嘉永2年の江戸切絵図より、銀座8丁目(出雲町)あたり。金春屋敷とある(『〔江戸切絵図〕』築地八町堀日本橋南絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286660)

金春通りの新橋よりのあたりにもう1つ煉瓦街に関係ある碑がある。「金春通り煉瓦遺構の碑」である。

銀座8丁目の金春屋敷跡あたりで煉瓦街時代の煉瓦が発掘され、その一部をそのまま金春通りに記念碑として建てたもの。リアルな煉瓦街の煉瓦だ。銀座煉瓦街の2つの碑が、北の端と南の端にあるのもおもしろいものである。

昭和63年(1988年)に発掘された煉瓦街の遺構の一部をそのまま史跡としたもの。当時の煉瓦そのものを触れるのがいい

昭和63年(1988年)に発掘された煉瓦街の遺構の一部をそのまま史跡としたもの。当時の煉瓦そのものを触れるのがいい

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編集=安井克至

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