おおざっぱにいうと、銀座5丁目と6丁目は尾張町1丁目と2丁目。それが銀座になったのは意外と最近のことで1930年だ。銀座7丁目は竹川町で、銀座8丁目は出雲町。江戸名所図会では、尾張町の呉服店の様子が描かれており、すごくにぎわっているのがわかる。
これらに描かれた呉服店は今は残ってない。尾張町の語源は、このあたりの開発を尾張藩が担当したからと考えられている。
では、煉瓦街時代からの老舗を見ながら歩きたい。それが意外に残ってるのだ。
最初に目に付くのは「鳩居堂」。鳩居堂は香や和紙製品の専門店として江戸時代に京都で創業。東京へは明治時代に進出した。その2軒隣にある銀座大黒屋は江戸時代の1800年創業……だが、当時は鶏卵卸商。その後、食料品店を経て、戦後に女性小物雑貨店に業種変更し、今はハンドバック専門店となった。
銀座通りを挟んだ向かいにはビルが並ぶが、その一角に「GINZA ALLEY」なるビル内路地がある。そこの若松という甘味処は明治27年創業。汁粉屋として開業し、昭和5年には「あんみつ」を考案……、つまりあんみつ発祥の店だ。
銀座6丁目といえば関東大震災後の大正13年に開店した百貨店「松坂屋」。2013年6月に閉館し、その後周辺を2ブロック分1つにした「GINZA SIX」(銀座6丁目だから)がオープンした。ここの屋上庭園はぐるっと一周すると銀座を一望できるのでおすすめしたい。
GINZA SIX設計時の話が興味深い。
旧松坂屋銀座店を含む銀座通り沿いのブロック1つと、あづま通りを挟んだ反対側のブロック1つをまとめた巨大な敷地にビルを建てることになったのである。でも、そうすると、銀座通りの1本奥にあるあづま通りがGINZA SIXで分断されてしまう。銀座の町会や商店会などから構成されている「銀座通連合会」は道路を残すように要望。結果として、ビルの1Fに道路が残ったのである。上空から観ると道は消えたけれども、地上からだと従来どおり、まっすぐ通り抜けできるのだ。