おおざっぱにいうと、銀座5丁目と6丁目は尾張町1丁目と2丁目。それが銀座になったのは意外と最近のことで1930年だ。銀座7丁目は竹川町で、銀座8丁目は出雲町。江戸名所図会では、尾張町の呉服店の様子が描かれており、すごくにぎわっているのがわかる。
![尾張町の布袋屋と亀屋と恵比須屋。布袋屋(右上)が今のイグジットメルサの場所だろう(『江戸名所図会 7巻』[2],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563381)](https://images.forbesjapan.com/media/article/67003/images/editor/07e0cbfac8d065762de82f1adc959dd5773ebaf5.jpg?w=1200)
では、煉瓦街時代からの老舗を見ながら歩きたい。それが意外に残ってるのだ。
最初に目に付くのは「鳩居堂」。鳩居堂は香や和紙製品の専門店として江戸時代に京都で創業。東京へは明治時代に進出した。その2軒隣にある銀座大黒屋は江戸時代の1800年創業……だが、当時は鶏卵卸商。その後、食料品店を経て、戦後に女性小物雑貨店に業種変更し、今はハンドバック専門店となった。
銀座通りを挟んだ向かいにはビルが並ぶが、その一角に「GINZA ALLEY」なるビル内路地がある。そこの若松という甘味処は明治27年創業。汁粉屋として開業し、昭和5年には「あんみつ」を考案……、つまりあんみつ発祥の店だ。



旧松坂屋銀座店を含む銀座通り沿いのブロック1つと、あづま通りを挟んだ反対側のブロック1つをまとめた巨大な敷地にビルを建てることになったのである。でも、そうすると、銀座通りの1本奥にあるあづま通りがGINZA SIXで分断されてしまう。銀座の町会や商店会などから構成されている「銀座通連合会」は道路を残すように要望。結果として、ビルの1Fに道路が残ったのである。上空から観ると道は消えたけれども、地上からだと従来どおり、まっすぐ通り抜けできるのだ。
