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2023.10.31 13:00

銀座には江戸創業の老舗は少ない、「銀座煉瓦街」誕生から150年

尾張町(今の銀座5丁目)の煉瓦街の図。(広重『尾張町煉化石』,いせ喜. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305427)

ここから南が道幅が15間に拡げられた銀座だ。銀座一丁目から南下しつつ「煉瓦街時代」からの店をチェックしてみたい。
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銀座1丁目は、間口が狭い細長いビルが並んでいるのだが、最初の注目は、西側にあるかばんの「タニザワ」だ。タニザワは明治23年(1890年)に銀座に店を構えたかばん店。初代の谷澤禎三が「鞄」という文字を「かばん」と読ませることを提案し、銀座を通った明治天皇の侍従から「何と読むか?」と質問を受けたのをきっかけに「鞄」の文字が広まったという。

鞄のタニザワ。かばんに「鞄」の字を当てたのがタニザワの創始者だった

鞄のタニザワ。かばんに「鞄」の字を当てたのがタニザワの創始者だった

さらに南下すると銀座2丁目となる。歩道の伊東屋の前あたりに「銀座発祥の地」碑が現れる。江戸時代に銀座役所があった場所で、慶長17年に「銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す」などとある。

「銀座発祥の地」碑。ちょうど「銀座役所」が設けられた場所だ

「銀座発祥の地」碑。ちょうど「銀座役所」が設けられた場所だ

銀座2丁目の老舗といえば文具の「伊東屋」明治37年(1904年)に和漢洋の文具を扱う店として銀座3丁目にオープン(松屋銀座のあたり)した。戦後、銀座2丁目の現在地に移転している。オリジナル文具も多く出しており、私も伊東屋のリーガルパッドを取材用のメモパッドとして長く使っていた。洋風煉瓦建築に相応しい店だ。
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赤いクリップが目印の伊東屋。創業時は銀座3丁目にあった

赤いクリップが目印の伊東屋。創業時は銀座3丁目にあった

さらに南下する。

銀座2丁目と3丁目の境界にある銀座2丁目交差点の2丁目側の角に「大倉本館」がある。明治6年に「大倉組商会」が創立された場所である。ホテルオークラの「大倉」であり、大成建設の名も創業者大倉喜八郎の戒名から付けられたもの。そんな戦前の財閥であるが、このビルの片隅に「東京銀座通電気燈建設之図」と書かれたレリーフが埋め込まれている。

明治15年、大倉喜八郎が大倉本館2階に発電機を置き、銀座通りに初めて電灯(アーク灯)を灯したのに由来するのだ。

大倉本館の角に埋め込まれた「東京銀座通電気燈建設之図」アーク灯が通りを照らす様子と路面電車が描かれている

大倉本館の角に埋め込まれた「東京銀座通電気燈建設之図」アーク灯が通りを照らす様子と路面電車が描かれている

銀座3丁目に入ると、目立つのは松屋銀座。松屋がここにきたのは大正時代。関東大震災後の1925年に開店した。今は1ブロック全部が松屋銀座だが、当初の本館は今の半分くらいの敷地で。その部分は大正時代のビルをそのまま使っている(外装からは想像できないけれども)。その隣にあったのが伊東屋だ。

ちなみに銀座に百貨店が進出してきたのは関東大震災後のこと。最初が松坂屋で次が松屋。三越が銀座にやってきたのはその後になる。

銀座通りから1本東側の「銀座ガス灯通り」には明治28年創業の洋食レストラン「煉瓦亭」がある。オムライスやカツレツなど「洋食」といって思い浮かぶメニューが定番。

洋食の煉瓦亭。明治時代に日本人に合わせた洋食を次々と提供した

洋食の煉瓦亭。明治時代に日本人に合わせた洋食を次々と提供した

銀座通りに戻る。松屋のはす向かいには教文館書店がある。実はここも古くて明治18年、横浜に創業。明治39年(1906年)に現在地へ移転してきた。明治時代からの書店だ。ちなみに今のビルは昭和8年竣工のもの。概観からはわからないが、戦前のビルがそのまま使われているのである。
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編集=安井克至

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