働き方

2024.01.06 10:00

週2・2時間営業、ラストオーダー18時半の鉄板焼き屋が「最適規模」な理由

石井節子
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酒場が視野を広げ、人生を拓いてくれた

読むふるさとチョイス

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「20代の頃は、正直酒しか飲んでませんでした。飲み代で結構な借金があったくらいです(笑)」

前田さんは京都市生まれの宇治市育ち、生粋の京都っ子。出身校は、近畿地方で四本の指に入る難関私立大学・立命館大学だ。

「立命館の近くで北野天満宮という市が開かれていたんですけど、そこで骨董品がいっぱい売られてたんです。昔から古着とか古い物は好きやったんですけど、骨董は特に奥深いのが面白くて、どんどんはまっていきました」

卒業後、一度就職を試みたものの、サラリーマン生活は1か月と持たなかった。

当時は“ちゃんと働かないと”と焦り悩んだというが、前田さんの視野を広げてくれたのは酒場だった。

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「京都って、この人どうやって生活してるんやろう?って人がいっぱいいるんですよ。自由な人がたくさんいて、そんな人たちを見てたら『まあええか』って気分になってきたんですよね(笑)。30歳になったら骨董カフェをやろうとだけ決めて、あとはたまにバイトして酒飲んでた20代でした」

2015年の国勢調査によると京都市は、横浜市・名古屋市・大阪市に次いで、全国で4番目に自営業主・家族従業者数が多い。

商売をする人同士のコミュニティは小さく、飲食店の横のつながりも濃い。前田さんは飲み歩きながら、京都の商売感覚を自然と身につけていたのかもしれない。

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ちょうど30歳を迎えた頃、独立のチャンスが訪れる。

「通ってたバーの近くに寿司屋があったんですけど、オーナーが『うちの定休日に店の前使っていいよ』と言ってくれて、週1回だけ軒先で売らせてもらってたんです。30歳になった頃、その近くに良い物件が出たんですけど、家賃が高くてちょっと迷ってたんですよ。じゃあ寿司屋のオーナーが『毎日弁当作ったるし、それ売って僕が家賃出したるから』って後押ししてくれて」

物件との出会いと知人たちからのプッシュに、自然と独立の運びとなった。

「開業資金も飲み友達が出してくれたんです。1口5万円で、5年後にもし儲かってたら利息をつけて返すっていう約束で200万円くらい集まりました。返さないでいいって言ってくれた人もいたし、結局3年くらいで全部返すことができましたね」

金銭的に飲食設備までは入れることができなかったが、2002年の冬に骨董屋『アンティークベル』はスタート。当時ほとんどなかった “骨董や古道具をカジュアルに買える店” として、瞬く間に人気となった。

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文=古矢美歌

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