筆者がお話を伺いにお宅にお邪魔したのは引っ越し前のそんな折だった。結婚当初からの、いわば小梶家の歴史が記録された大量の紙焼き写真が、段ボールにガサっと入っている。ちょうど先日、家族を集めて“必要な写真”だけを各自に持ち帰ってもらったという。つまり、段ボールに入っていた写真は“選択されなかった写真”だった。
結婚当初から撮り溜ためてきた紙焼き写真
「一番大事なのはいま生きている家族が健康で楽しく生きていること。紙焼きはかさばるし劣化する。デジタル化しちゃえば問題なんてないと思います。それに改めてこうやって見返してみても、思い出せない写真が多い。忘れているっていうことは、もはや自分の中では存在してないようなものです。そうでしょう? 大事な写真というのもそう多くはないと知りました」と小梶は微笑んだ。
——「生きるとは選別すること」と小梶は語る。
人はなかば無意識に、あるいは半強制的に日々“選択”と“選別”を繰り返している。それらの無数の決断の裏には、同じ数の葛藤や感情、あるいは後悔なんかがパンくずのように散らばり、こぼれ落ちているのかもしれない。
小梶のスクラップブックが魅力的なのは、それ自体が日々の尊い決断の積み重ねの軌跡であり、普遍的な人の営みのリアルな産物であるからだ、とふと思えた。あるいは、東京で家庭を持ち長年働き暮らしてきた彼が、居住空間で時間をかけ育んできた人工の“真珠”のようなものだからかもしれない。
こぼれ落ちたパンくずは——きっとどこかで小鳥につつかれている。パンくずにも、世界のどこかで需要があるとするならば、人生に後悔など不要なのだと信じることができるのではないか、そう思った。