本当に必要な「モノ」はどこにあるのだろう?
つい最近まで楽しく酒を酌み交わしていた同年代の友人が、ある日を境にふっと姿をみかけなくなることがある。還暦が近づいてきた小梶は、そんな体験を少なからずするようになった。音楽家・小西康陽の本『わたくしのビートルズ』収録のコラム「死者たち」には下記のような一節がある。(小梶は自家製スクラップブックをきっかけにして、小西康陽の本の編集をするようになった。小西は小梶を「特殊編集家」と名付けた)。
《…そして年老いてしまったいま、自分の周囲で賑やかなのは恋人たちではなく死者たちだ。通夜。告別式。初七日。四十九日。一周忌。祥月命日。死者たちが自分のスケジュール表を更新していく。誰でも結婚式が続く一時期を経験するように、やがて死者たちとの付き合いにも慣れるのか…》
死者たち『わたくしのビートルズ』
小梶が編集を手掛けた小西康陽の本も収納した自作ケース
葬儀に出ると、生前どんな暮らしをしていた人物であれ、この世を旅立つときお棺に入れられるのは僅かばかりのものだということを、誰しも目前の現実として思い知る。
この世で本当に必要な「モノ」は一体どこにあるのだろう? 齢を重ねるにつれ、そんな疑問が時折小梶の頭に浮かんでは消え、消えては浮かんでいった。
「生きるとは選別すること」
2022年、小梶が敬愛するフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが自殺幇助を受けて安楽死の道を選んだことがニュースになった。その決断の真相と理由は伝え聞く内容から推し量るしかないが、小梶にはその逝き方がある意味理想的に思えた。「死の定義は医学的には一応はあるのだろうが、もし何らかの理由で自身の記憶が失われるようなことがあれば、例え心臓は動いていたとしても、それは自分にとって死同然のことだ」
スクラップブックを収納するための箱(1993年)
今年5月、小梶はそれまでよりも一部屋少ない新居に引っ越すことにした。子育てもひと段落し、ライフステージに合わせて部屋の広さも金額も下げてよい、と考えたからだ。東京で生活するということは「居住空間と家賃との戦い」である。
引越し前に、新居のサイズに合わせて大量のモノを整理した。人生最大の断捨離だった。スクラップブックや多くのコレクション類も、欲しいという人に一部売却したり無料で譲渡したりした。