こうした事態を招いている大きな要因に、リーダーシップの欠如がある。経営者が「司令塔」として機能していないのだ。以前からいわれていることだが、戦略性がないため、経営判断や計画が世の中の変化についていけていない。
前出のBYDなど、中国のメーカーが元気なのは偶然ではない。綿密な戦略をもとに中長期的な計画を立ててきたからいまがある。中国共産党は20年に第14次5カ年計画案と35年までの長期目標案の概要を公表し、「科学技術強国」を目指すべくAIやバイオなど先端分野の研究に国を挙げて取り組むと宣言している。
AIをはじめとしたテクノロジーはハイプ(熱狂)の類いではなく、不可逆的な潮流であり、「本質的には産業革命だ」と亦賀は話す。だが現状では、その流れを前に経営者の一部は思考停止状態に陥り、部下に戦略を丸投げしている。戦略を描く立場にない部下はやむをえずベンダーにそれを丸投げする。だから、いつまでたってもデジタル化できない、という負のスパイラルに陥っている。
この悪い流れを断つにはどうすべきか。亦賀は、「新しいテクノロジーを試して自分ごとにする」ほか、「リーダーは自分の口ぐせに気をつける」ことを挙げる。
無意識のうちに、「それはもうかるのか?」「本当にできるのか?」「誰がやるのか?」「他社もやっているのか?」といった「なのか」という言葉を使っていないだろうか。これは直ちに禁止すべきだ。実現できなかったときに責任を負わされるとわかっていて、部下が「はい」と答えるはずもない。それに、「本当にできるのか?」というような、能力を疑ってかかる言葉は、社員の挑戦意欲を削ぐ。
これでは、会社の成長にブレーキをかけるだけだ。スペースXを起業したマスクが「本当にロケットは飛ぶのか?」と言う場面など想像できるだろうか。彼は「火星を植民地化する」と宣言して、社員を先導しているのだ。そして、それに共鳴した従業員たちがロケットをつくり、やがて次のリーダーとして会社を率いる。
何よりも重要なのは、「基本に立ち返り、謙虚に学ぶこと」だと亦賀は語る。より優れた海外のテクノロジーがあるなら、国内ベンダーに丸投げせずに、それを使うのもひとつの手だ。富岡製糸場は立ち上げ当時、高額な報酬と住居を条件に仏人技師を招聘した。彼らから懸命に学んだことが、のちの日本の産業の発展につながった。
企業論理中心になっている現状からユーザー目線へ。モノも誰かに使ってもらうことで、価値が生まれるのだ。