食&酒

2023.08.26 12:30

留学生と居酒屋メニュー、都内に広がる「ガチネパ」と「ガチ中華」の共通点

2010年代のネパールでは大規模な震災や経済危機があり、政府が若者の海外への出国を後押しした面があったという。彼らは来日すると、アルバイトをしながら日本語学校に通い、卒業後、在日ネパール人向けのビジネスを始めるケースが多かった。その中心地となったのが、東京都新宿区の大久保だったという。そこで「ガチネパ」の料理店が生まれた。

同じことが「ガチ中華」にも言える。1980年代の中国の改革開放政策がプッシュ要因となり、中国人の大量出国が始まった。特に1980年代後半からは日本で働きながら日本語学校に通う留学生が増えていく。1990年代になると、彼らは主に東京の池袋で在日中国人向けのビジネスを始めた。それが現在のガチ中華料理店誕生のひとつの起点となっている。
在日中国人向けのビジネスは、池袋に1990年代初頭、中華食材店がオープンした頃から始まった

在日中国人向けのビジネスは、池袋に1990年代初頭、中華食材店がオープンした頃から始まった

居酒屋メニューからの影響も

始まりが留学生であったということのほかに、店で供されるメニューやサービスにも共通点を見つけることができる。それは日本の居酒屋からの影響だ。

「ガチネパ料理の店では、学生時代なども含めて開業までに日本の居酒屋での勤務経験のあるネパール人オーナーが多く、その居酒屋メニューからさまざまなアイデアを引用している」(小林さん)

たとえば、刺身の盛り合わせに見られるような料理の概念は現地のネパール料理にはないが、日本のガチネパの店では種類の違う「モモ」(ネパール風餃子)を盛り合わせたメニューがある。
豊島区北大塚のガチネパ料理の店「カスタマンダップ」で提供するモモの盛り合わせは日本の居酒屋メニューの影響から生まれた。蒸す、焼く、揚げる、チリソースで炒める4種入り

豊島区北大塚のガチネパ料理の店「カスタマンダップ」で提供するモモの盛り合わせは日本の居酒屋メニューの影響から生まれた。蒸す、焼く、揚げる、チリソースで炒める4種入り


これはガチ中華にも言えることで、在学中や卒業後、居酒屋チェーンでアルバイトしたり、働いたりした経験をもとに、大皿を並べてみんなで食べるという中国の一般的な食のスタイルではなく、日本の居酒屋風の小皿料理を出して、お酒のメニューを増やしている店がある。たいてい30代から40代の中国人オーナーの店だ。
豊島区西池袋の「諸葛烤魚」は重慶発麻辣魚煮込み「烤魚」の現地チェーンの日本初出店。店内の内装はいまどきのガチ中華らしく「ギラギラ系」

豊島区西池袋の「諸葛烤魚」は重慶発麻辣魚煮込み「烤魚」の現地チェーンの日本初出店。店内の内装はいまどきのガチ中華らしく「ギラギラ系」


それと、ガチ中華で言えば「ギラギラ系」や「レトロチャイナ」 といった現地性を強く感じさせる店の内外装の面白さは、ガチネパの料理店でも見られ、これもメニューと同様に日本独自の発展を見せている。
豊島区北大塚のガチネパ料理の店「カスタマンダップ」の入口には、現地の寺を模したレプリカとネパールのバイラヴ神の仮面が置かれている

豊島区北大塚のガチネパ料理の店「カスタマンダップ」の入口には、現地の寺を模したレプリカとネパールのバイラヴ神の仮面が置かれている


たとえば、大塚にあるガチネパの店「カスタマンダップ」(豊島区北大塚2-7-9 第33東京ビル5F)の内装は、日本人にとって非日常感を味わえる空間だ。 

前出の小林さんによると「同じネパール人でも室内装飾へのこだわりは民族差があり、伝統的に木工芸に秀でたネワール族が内外装に強いこだわりを見せます。『カスタマンダップ』のオーナーはネワール族で、その民族性を強調した内装は異国にいるがゆえに、より故国のイメージを際立たせようとしているのかもしれません」ということだ。
「カスタマンダップ」の店内には、ネパールの寺院にあるマニ車がディスプレイで使われている。経文が書いてあり、手で回すと功徳が得られるとされる

「カスタマンダップ」の店内には、ネパールの寺院にあるマニ車がディスプレイで使われている。経文が書いてあり、手で回すと功徳が得られるとされる

「カスタマンダップ」では、テーブル席以外に、現地風の座敷が再現されている

「カスタマンダップ」では、テーブル席以外に、現地風の座敷が再現されている

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写真=中村正人、和田宣弘、東京ディープチャイナ研究会

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