日本では、スポーツ界における評価基準と社会全体におけるそれは大きく異なる。いわば、基準の「ものさし」に刻まれている単位がまったく違う。
たとえば、社会全体では「ブラック企業」と称されるマネジメント手法がスポーツというフォルダに入った瞬間に美談になる。甲子園出場校の監督が、選手を寮に住まわせて、勉学、家族や友達との時間、恋愛等、多くの時間を奪うこととひきかえに勝利した、そのストーリーは、日本の社会では美談と称されてしまう。
選手たちはただ、一般の社会人より数年若くてスポーツというフォルダに入れられただけである。言い換えるなら、日本は社会とスポーツが隔絶されているともいえる。
3.上記に関連してもう1点。日本ではスポーツ選手は、子供の時から特別扱いを受けて育つ。学費の免除や、アスリートだけのクラス、中には強豪校にリクルーティングされる際に現金が動くケースもあるそうだ。箱根駅伝に出場する強豪校には、(リクルーティングのために)企業から多額の現金が「栄養費」という名目で寄付される。
そのような(負の)特別扱いを受けてきたスポーツ社会は、このような有事の際には逆にしっぺ返しを喰らう。
筆者が思う一番の大きな問題は、そのベネフィットを受けているスポーツ社会全体が、それが「負の(期間限定の)特別扱い」であることに気付いていないことである。
アメリカでは「本人の責任」、それ以上でも以下でもない
ではアメリカでは、この手の、薬物問題といったケースはどのように扱われるのだろう?明確かつ完結に答えを述べよう。アメリカなら「本人だけの責任」として扱われるのだ。100歩譲っても「親の責任」だ。組織的であるとする要素がなければ、指導者にもチームメイトにも一切の関わりは取り沙汰されない。
アメリカの多くの大学には「Campus Police」なる警察がいる。日本のそれとは比べものにならないぐらい敷地も大きいため、その存在が必要なのである。キャンパス内で起きたトラブルや犯罪は、基本的には彼らに任せることになるわけだが、覚醒剤は別として、大麻のようなものは、警察の手を借りるまでもない。
5、6年前のことだろうか、キャンプ中のベッドチェック(見回り)で、明らかに大麻の臭いがする部屋を発見した。もちろん上司に報告して、次の日に出た沙汰は、「1週間のサスペンデッド(謹慎)」であった。警察の介入もなく、本人が1週間の罰を受けただけである。