6月某日、都内で、第23回 国際技術哲学会(SPT, the Society for Philosophy and Technology)が開催された。SPTは1976年に発足した国際的な技術哲学の組織だ。当日は世界28カ国から180名、日本から120名ほどの研究者が参加し、300を超える発表がされた。
そこで語られた技術哲学のトピック、トレンドとは。SPT運営チームの七沢智樹氏に話を聞いた。
ビジネスシーンでは新しいテクノロジーやイノベーションに対して建設的な意見が交わされ、ネガティブな意見は水を差すようで怪訝されることが多いが、ネガティブなことも含めてきちんと考察し、時に警鐘を鳴らすのが哲学の役割である。例えばチャットGPTは、さまざまなタスクの効率化に貢献している一方で、プライバシーや著作権の問題が生じている。
過去を遡れば、近代以降、資本主義がグローバル化し、人間がまるで機械の奴隷のように労働して疲弊していく中、テクノロジーへの批判は徐々に高まっていった。1954年に出版されたドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの『技術への問い』という論考では、現代のテクノロジーは自然や人を資源であり在庫にして本来の働きをさせなくしていると批判している。
一方でそうしたテクノロジー批判は、では、具体的にテクノロジーとどう向き合えば良いのかという考察が十分ではない傾向がある。
「そこで技術哲学の研究者らは、テクノロジーがもはや生活の隅々まで組み込まれているのならば、その使用や経験するあり方に着目して分析すべきだと考えるようになりました。1990年代からは、単にテクノロジーを批判するだけではなく、実践的に捉え直そうという経験的転回が起きたんです。その流れが現在も続いています」と七沢氏は解説する。
現代の技術哲学の限界とは
本年度のSPTのテーマは『テクノロジーとモビリティ』だったのだが、なんと言ってもAI関連の発表が多く、続いて自動運転や空飛ぶ車、さらにマインドアップローディングといった近未来のテクノロジーまで、幅広い発表があった。いずれもテックニュースや一般的なテクノロジー本の内容とは一線を画する、研究者ならではの深い切り込みを感じさせるものばかりだ。例えば、そのテクノロジーが人や社会にとってどのような意味を持つのか、というような議論だ。