働き方

2023.07.14 20:00

生産性の罠から放たれ 「主語を自分」に変えたら起きたこと

石井節子
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今思い返すと、2010年代はSNSが社会に実装され、人と人との出会いが爆発的に増えた時期だった。新たな出会いと、終わりのない新しい仕事。スピードアップし続ける人生。その中にあって、僕は次第に「この生活はそもそも持続可能なのか?」というえもいわれぬ不安に苛まれるようになっていった。

面白いコトに触れたり、新しい企画を考えたり、SNSで興味のある動画を見たりすると脳内のドーパミンという物質が分泌される。これは「やる気ホルモン」と呼ばれている。情報社会になった現代は、ある意味、ドーパミンによって動かされている。日々興味のあることや、刺激的な情報に出会うと、ドーパミンが出るようになり、脳がぐるぐる動き、さらに刺激を求めてスマホやパソコン作業に向かってしまう。

常にスマホに常時接続された生活の中で、ドーパミンによって動かされ、ハイな状態になっているのだ。それがずっと続くと頭は動いていても体に疲労はくる。それなのに、情報のインプットをやめてしまうと刺激に慣れた僕らの頭は、退屈と不安を感じ始める。どんなに効率化しても仕事が減らないどころか、むしろ仕事をやめられない「中毒状態」になってしまう。

自分を「主語」にする幸福感

そんな終わりのない時間不足に悩んでいた僕に、転機が訪れた。KDDIのau designチームと一緒に取り組んだ〝スマホのない贅沢を〞通称Good distanceプロジェクトだった。デザイン思考を活用して「スマホの新しい体験」を考える中で、出てきたひとつのインサイトとして「スマホは大好きだけど、距離を置きたくなる時もある」という若者の声をもとに始まった。

スマホはそれまでのガラケー時代からは比較できないほど大きな存在になった。ユーザーインタヴューで出会った「スマホが体の一部のように感じています」という大学生の言葉は身につまされた。スマホの電源が切れると、何とも落ち着かない気持ちになる人は少なくないだろう。果たしてスマホが体の一部となることは、私たちにとって本当に良いことなんだろうか。

「スマホ依存」とはスクリーンからの情報刺激に対して、常に自分が受け身である状態だ。SNSのタイムラインに流れてくる友人の近況にせよ、Slackでの仕事の通知にせよ、すべては「他人起点」の情報だが、僕らはそれに対して受け身であることに慣れ切ってしまっている。プロジェクトでは、スマホ依存だと自覚する人たち(ちなみにその中には僕自身も含まれることはいうまでもない)に、あえてガラケーを持ってもらい、鎌倉の建長寺で瞑想をしたり、使い捨てカメラで景色を写したりする体験をしてもらった。まさに、デジタルデトックスの体験だ。

Kanizphoto / Getty Images

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文=佐宗邦威

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