「モンゴルアートギャラリー」という私営の美術館も訪ねた。そこは、高名なモンゴル近代美術家B.プレブスフの娘さんが運営している5階建ての立派な施設だ。館内に展示されているのは、モンゴルの歴史的なモチーフや民族の記憶を題材にしながら、現代的でポップな作風に仕上げられている作品が多いように感じた。
旧ソ連の影響下にあった時代には、国民的英雄であるチンギス・ハーンは描くことすらタブーだったという。「タタールのくびき」と呼ばれるモンゴル帝国の西方遠征によって、13世紀にキエフ公国が滅ぼされ、ロシア人が支配されていた歴史があるからだ。
館長である彼女の父親をはじめ、この国の画家たちがモンゴル史上の人物をひそかに描き始めたのは、1980年代のソ連のペレストロイカの時代になってからだった。
今日のモンゴルのアーティストたちが好んで歴史的な題材を作品に採り入れるのは、こうした制約からの解放とともに、自分たちの民族のアイデンティティを再興したいという思いもあるだろう。
数日間の見聞にすぎなかったけれど、中国の内モンゴルの人たちが現在のモンゴルやウランバートルに心惹かれるのは理解できる気がした。モンゴルは人口わずか350万人という小さな国だが、中国国内で少数民族と位置づけされる内モンゴルの人たちは、メインランドの人たちのように、その国の主人公として自分たちの未来をまっすぐ描くことなどできないからだ。
内モンゴルとメインランドの違いは、政治や文化、生活などあらゆる面で、中国とロシアという大国の影響下にあったことが見事なまでに反映されていることだ。これはそれぞれの国と地域を誰が近代化させたかという歴史にかかわっている。
一方で、グローバル化の波がウランバートルを平準化された世界都市へと向かわせていることも確かだった。
そんなウランバートルの街を歩きながら目にしたのは、気さくで親しみを感じさせる人たちだった。
面白いことに、この国の人たちは、見かけはわれわれと変わらないアジア系の顔立ちなのに、そのふるまいや発想は西洋的というと言い過ぎだが、少なくとも東アジア的ではなく、ロシア人に近いユーラシア的なところがある。彼らが日本へ旅行に行くと、自分たちには失われたアジア的情緒への郷愁を覚えるらしい。
最後に、筆者が偶然見つけた橋梁の壁面を埋め尽くすかのように描かれていた無数のグラフティ群を紹介したい。これは、モンゴルのヒップホッパーたちだという。いったい彼らは何者なのか。次回、紹介したいと思う。