そこでは本当に、ドラム缶から濃縮トマトをポンプで汲み上げて「ブール」に供給する作業をしているのだろうか? 本来ならそうであるはずだ。だが、もしかしたら別のことをしているのではないか? だから、ブロック塀とカーテンで外から見えないようにしているのではないか? つい先ほど、原材料を保管する倉庫を見学したとき、青いドラム缶の横に白い大きな袋が積まれているのに気づいていた。「塩」と記されたものもあったが、何も書かれていない袋もあった。
著者は工場関係者の目を盗んでカーテンの奥へ潜入する。そこで発見したのはデンプンや着色料といった、大量の添加物だった。
「中身の半分以上が添加物」も
実際のところ、アフリカで流通している中国製のトマト缶には(「原材料:トマト、塩」とだけ書かれているにもかかわらず)多くの添加物が混ぜ込まれており、中身の半分以上が添加物でできているものさえ珍しくないという。腐って黒ずんだトマトを着色料でごまかし、売りつけることもあるというのだから、私たちの感覚ではあまりにも衝撃的だ。
他方で、そのような劣悪な製品を買わなければならない人々の事情もある。貧困国では、缶ごと買えない人たちのために、スプーン単位での売り方が定着しているのだという。そういった人を対象にして、中国の安価なトマト缶はアフリカを席巻している。
このようなトマト缶とその背景にある問題が本書には目白押しで、総ページ数は300を超える。著者は数年にわたる取材で、イタリアと中国に限らず各国を飛び回って本書を完成させた。それだけトマト缶が世界中で愛されている証拠であると同時に、問題の根深さも強く示唆しているといえるだろう。
「トマトペースト缶はまさに資本主義の象徴だ」と著者は言う。そして本書内で幾度となく資本主義自体の問題に言及している。確かにトマト缶を巡って起きているのは利潤追求と市場競争を主とする、資本主義の成れの果てであると見ることもできるだろう。そこには移民や強制労働をはじめとする人道的な問題や、国家単位の思惑が絡んでいることにも気付かされるはずだ。
トマト缶から世界が見える……そう言い切るのはやや大袈裟かもしれないが、本書にはそう思わせるだけのスケール感があり、今まさに私たちが直面して思考しなければならない諸問題が詰め込まれている。
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。