働き方

2023.05.12 09:00

藝大学長、日比野克彦から働く人へ──自分に会社を合わせる努力を

こうして日比野さんは、領域に縛られることなく幅広い仕事をするようになっていきます。
 
「1980年代は好景気という時代背景もあって、とてつもない量の仕事をしていました。しかも、やることなすこと、すべて初めてのことばかり。最初は絵を描いていると、それが雑誌の表紙になり、エディトリアルの分野に広がっていき、さらにプロダクトやファッション、家具デザイン、さらには舞台美術やCMもやってみないかとなった。僕が絵を描いていたら、その絵がいろんな仕事に変化していったんです」
 
日比野さんは「いろいろな仕事をやっている人だ」とよく言われたそうです。しかし、自分から「こんな仕事をやりたい」と言ったことはないし、器用に手を変え品を替えやっていたわけではなかったそうです。
 
「同じことをやっていても、一緒に仕事をするパートナーによって、世に出る形が変わっていったんです。素材は同じだけど、調理法や盛りつけで中華になったり、フレンチになったり、和食になったり、ランチボックスになったりするのと同じです」
 
絵を描くという仕事の核があれば、それがいろいろな仕事に広がっていくということを実感した20代だったといいます。
 
「仕事をするうえで心掛けていたのは、自分なりに挑戦することでしたね。仕事の話はたいてい僕の過去の仕事をベースに依頼がきます。でも、新しい挑戦がしたい僕としてはそれではつまらない。何よりやってはいけないのは、つまらないと思いながら仕事をすることです」
 
だから、自分で面白くする努力を常にしていたそうです。小さな大冒険をやってみる。もちろんすべてがうまくいくわけではありませんが、最初からチャレンジしないということはしませんでした。
 
「たくさんの判断が必要な仕事ほど、良い仕事だと思っています。判断しなくてはいけないということは、判断を間違えると危険が待っているということです。だから、判断に慎重になる」
 
最後の最後まで、時間のある限り、より良くしようと判断をし続ける。それこそが、一生懸命やった、とても良い仕事だったという達成感や満足感を生むのです。
 
「判断をせずにダラダラ仕事をしていたら、そういう気持ちは得られないでしょう」
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文=上阪徹

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