自動車の普通免許を再発行してもらったが、いざ運転となると戸惑った。「道路標識がよくわからなかった。新しい道ができているし、3車線に増えているところもあった」と語る。
コンビニに入った時は、淹れたてのコーヒーの香りを感じて驚いた。「すごくいい香りがしてきて、喫茶店じゃないのに、何でって」
今ではどのコンビニにも普及しているサービスも、逮捕された当時にはなかった。交通系や流通系などさまざまなカードが日常生活に行き渡り、どうしていいかわからなかった。「チャージって何だろうって。セルフレジも最初はなかなか利用できなかった」
戸惑いとは別に嬉しいこともあった。
「ドレッシングの多さにびっくりしました。玉ねぎドレッシングとかピーマンドレッシングとか。刑務所では大好きなマヨネーズも使えないから『こんなにいっぱいサラダに使えるんだ』って思うと、うれしくて。スーパーの調味料コーナーの前で嬉し泣きしちゃったくらい」
お菓子の種類も増えていた。「生チョコ、生キャラメル。初めて食べたときは感動しました」。棚に並ぶ見たこともないお菓子にわくわくした。
未来へタイムスリップしたような世界に、父輝男さん(81)に付き添われながらの外出で徐々に慣れていった。
「朝起きて、何もすることがない。刑務所の方がましだな」
しばらくすると、新たな苦しみが待ちかまえていた。それは、仕事がない、という現実だった。そのころの辛い心境が取材メモに残されている。「朝起きて、何もすることがない。『刑務所と一緒だな』と思ってしまう。刑務所にはやらなければいけない仕事があったので『仕事をさせてくれるだけ、刑務所の方がまだましだな』と思う。だって、近所の人は日中、仕事でいなくなるのに、自分だけが、家にいる。『どうして自分だけ…』と思いつめてしまい、どーんと暗くなる」
両親は、そんな娘をいつも温かく見守ってくれた。
「焦らんでいいよ。まずは再審で無罪にならんとな」。輝男さんは、そう言った。 「まあ、長い目で、気楽な気持ちでいたらいいんやで。仕事はきっと見つかるから」。母令子さん(72)はそう励ました。
しかし、西山さんは「ちっとも、気楽な気持ち、なんて気分になれなかった」という。仕事を探す上で、西山さんには大きな心配ごとがあったからだ。
それは、自分の障害を受け入れてくれる働き場所があるか、という心配だった。
西山さんの出所の少し前、小出医師の精神鑑定によって、軽度の知的障害と発達障害があることがわかった。それまでは本人も家族も恩師も弁護人も、誰1人、障害に気づいていなかった。障害が判明したことで西山さんが「供述弱者」であり、有罪の決め手になった自白は誘導された可能性が高まり、報道につながった。
しかし、障害がある、という事実を西山さんが受け入れるまでには、時間がかかった。
中日新聞の編集委員として当時、この調査報道のデスクをしていた私は、障害を紙面で公表することを、獄中の西山さんと両親に了解してもらった。とはいえ、紙面化してから両親を責める親族も中にはいた。
「なぜ、美香の障害を記事にすることを認めたんや。美香がかわいそうやないか」。そう詰め寄る親族に、父輝男さんは「殺人犯の濡れ衣を着せられるのと、どちらを選ぶかの選択。仕方がなかったことや」と反論したが、議論は平行線だったという。