政治

2023.04.22 18:00

いま米国で回顧される「東京ローズ」と白人弁護士の物語

サンフランシスコ裁判所 (Getty Images)

サンフランシスコ裁判所 (Getty Images)

ロシアによるウクライナ侵攻や、アメリカのペロシ下院議長の訪問によって中国と台湾の緊張感がかつてないほどに高まるなど、去年からアメリカは、近年もっとも戦争の危機に直面していると言われている。

そんななか、今年は「東京ローズ」という名前が初めて語られてから80周年の年となり、アメリカでは「パールハーバー」や「ヒロシマ、ナガサキ」と並んで、静かに回顧や考証の対象となっている。

第二次世界大戦中、日本軍は連合国側の兵士の戦意を喪失させるために、音楽とともに捕虜となった兵士から家族に宛てた手紙などを紹介するラジオ放送を流していた。

東京ローズとは、その放送に登場する英語を話す女性アナウンサーに対して、アメリカ軍兵士がつけた愛称だ。故郷の恋人を懐かしませるような艶のある声の東京ローズは、実は1人でなく複数人存在したなど、実体はよく知られないまま終戦を迎えた。しかし、その後の東京ローズの悲劇を知る人はアメリカでも少ない。

国家反逆罪で10年の実刑を

実は東京ローズは、10数名からなるバイリンガルの女性パーソナリティだったが、戦後、実際に自分がその1人だったと名乗り出たのは、アイバ戸栗さんという日系2世の女性だけだった。

戸栗さんは1916年にロサンゼルスで、日本から移民した両親のもとで二重国籍者として生まれ、2006年に90歳でシカゴで亡くなり、現地に墓がある。

若い頃、戸栗さんは医者を目指してUCLAの修士課程には学んでいたが、重病の叔母さんを見舞うために病気の母の代わりに日本へ出かけた。すると、程なく太平洋戦争が始まり、アメリカへと戻れなくなり、日本でタイピストの仕事をして生活していた。

悪声だったそうだが、本物の英語を話せる人間ということで、日本軍によって白羽の矢が立てられ、有無を言わさず女性アナウンサーとしてスカウトされる。こうして戸栗さんは、東南アジアの連合国側の兵士に向けて、ジャズなどを流しながらプロパガンダ放送をする仕事に就くことになった。

戦後、GHQ(連合国軍最高司令部)によって、彼女は反逆罪の容疑で巣鴨拘置所に1年近く収監され、取り調べを受けるが、釈放される。しかし直後に、FBIによってサンフランシスコの連邦裁判所に送致され、国家反逆罪で10年の実刑を受けることになる。

当時は、まだたくさんの戦死した若い米兵の遺体が毎日アメリカ本土に移送されていたときであり、怒りのやり場のない遺族団体が戸栗さん検挙の圧力をかけたことが背景にあることがわかっている。彼女は模範囚として6年で出所、シカゴに移っていた父親の物産店を手伝いながらつましく暮らした。

しかし戦争が終わっても30年間、彼女はアメリカの市民権を剥奪されたままであったことを知る人は少ない。
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文=長野慶太

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