「障害」の条件付き就活、多くの資格を取得
逮捕される前も、職業安定所(職安)で仕事を探した経験はあったが、13年のブランクと、障害という条件が加わり、希望の職場を探すのは簡単ではなかった。西山さんは、自分のハンディを乗り越える手段の1つとして、資格を取ることを考えた。そのころ、筆者のラインに西山さんからこんなメッセージが届いている。
「草津市(滋賀県※筆者注)に軽度の知的障害の人を対象に資格をとらせてくれるので、行ってみようかな。何の資格かと言うと、販売実務と、OA(オフィス・オートメーション※筆者注)事務コースです。見学があるので、伊藤先生(中学時代の恩師で「支える会」を立ち上げた伊藤正一さん※筆者注)に相談してみます」「伊藤先生に相談してみたら『一緒に職安に行って詳しい話を聞こう』と言ってくれました! ありがたいです」(LINEメッセージより)
取材にもこう答えている。
「通信教育講座で勉強しています。『生活心理学』は刑務所の中で取りました。『コミュニケーション・スキルアップ講座』はこれから。『サービス介助士準二級』(現在は准サービス介助士)の修了書は家にあります。『メンタルケアアドバイザー』は落ちました。『漢字習熟度検定』の勉強もしてきました」(取材メモより)
失った社会生活を取り戻そうと、前向きに資格を取り続けている西山さんの姿が浮かび上がる。パソコン教室に通い始めたのもこの頃だ。
「自分で仕事を探す」ことにこだわる西山さんは積極的に職業安定所に出向いた。
「仕事を『一緒に探そうか』と言ってくれる支援者もいたけれど、自分の力で探したいので、ハローワークに通って、紹介された会社に自分で連絡をとって面接に行ってます。福祉施設や工場など、いろんなところの採用面接を受けたけれど、受けては断られる、という繰り返し。何度もくじけそうになっています」(取材メモより)
就職不安から抜け出す 「あの場所」で再起の一歩
くじけそうになったのには、もう1つ理由があった。「私の場合、裁判も続いている。つまり、いわくつきの就活者なんです」(同)
出所の時点では、まだ西山さんは7回の裁判で有罪を認定された状態で、再審を開くための裁判(再審請求審)を大阪高裁で戦っていた。再審開始決定が出るのは出所から4カ月後の2017年12月のこと。ようやくめどがついたが、その後、検察が最高裁に上訴(特別抗告)し、一度出た再審決定がいつ、取り消されるか、不安の中での就活が長く続くことになった。
ハローワークに通い詰めてもなかなか仕事が決まらない。ある日、たまたま出掛けた大津駅の近くのコンビニに「アルバイト募集」の張り紙を見つけると、連絡先をメモし、家に帰ってから電話した。
「面接してほしいんですが」
ダメ元という気持ちでの体当たりの売り込み。30代らしい男性店長は少し驚いた様子だったが「すぐに来てください」と即答してくれ、面接が決まった。
面接でのやりとりはこうだった。
西山さん「障害があります。それでも大丈夫ですか?」
店長「あ、そうですか。何か差し支えありますか?」
西山さん「レジでお金を数えるのが苦手かも知れません」
店長「いいですよ。レジは2人体制ですから。作業もバーコードをスキャンするだけなので。大丈夫ですよ」
ハローワークではなかなか見つからなかった仕事が、すんなり決まった。店では高校生から50歳代までのアルバイトやパートの店員が働き、日々さまざまなお客が行き交う。そこは西山さんにとって、社会復帰への格好のリハビリの場になっていく。(つづく)
連載:供述弱者を知る