ロシア軍は侵攻当初からヨーロッパ最大級のザポリージャ原発などを占拠。砲撃によって原発の外部電源が切断され、非常用のディーゼル発電機を稼働する事態が度々起きているほか、大事故で廃炉作業が続くチェルノブイリ原発も、一時占拠されました。
チェルノブイリ原発事故の被災者を支援する現地のウクライナ人女性は、私たちのリモートインタビューにこう日々の恐怖を語ります。
「ウクライナで起きている戦争は新しい戦争です。チェルノブイリ事故で原発の爆発がどういうものかわかっている私たちはとても心配になりました。原発攻撃という戦争の手段が実験されてほしくない。次の日は最後の日になるかもしれないし、新しい日になるかもしれない。私たちは今天秤にかかっている状態です。しかし今を生きる必要があります。それに集中しないと頭がおかしくなりそうです」
原発が戦時下の攻撃対象になり得ることを世界に知らしめたウクライナ侵攻。
チェルノブイリ原発事故を知るウクライナの人への恐怖心をも利用する、卑劣な行為と言えます。
福島の女将とウクライナの人々 10年以上続く交流
原発事故という同じ経験から、ウクライナの人たちと痛みを分かち合ってきた1人の女性が、福島にいます。福島県南相馬市の小高区にある「双葉屋旅館」の女将・小林友子さんです。小林さん自身も福島原発の事故により避難を余儀なくされ、ともに旅館を経営していた家族とはバラバラになってしまいました。その後、旅館を本格的に再開できたのは、2016年のことです。
震災後、小林さんはウクライナに3度渡り、チェルノブイリ原発の視察だけでなく、甚大な影響が出たジトーミル州の小学校や個人宅も訪問。福島にも現地の消防士らを招き、放射能の影響や人々の暮らしについて講演をしてもらうなど、10年以上にわたってチェルノブイリ原発事故の被災者と交流を続けてきました。旅館の廊下は床から天井まで、その写真や手紙で埋め尽くされ、「交流の道」と名付けられています。
侵攻当初、訪れた小学校や町のインフラ施設が破壊されたという連絡を受けたとき、小林さんは、心配で夜も眠れなかったといいます。メッセンジャーでのやり取りを見せてもらうと、「許せない」「頑張って」「あきらめないで」と、小林さんから英語のメッセージが……。短いものが大半ですが、翻訳アプリを駆使しながら文章を作成し、昼夜を問わず言葉で寄り添い、励まし続けていました。
さらには、ウクライナ支援のために交流の様子をまとめたブックレットなどを作って義援金を集め、これまでに約150万円を送金。すると、現地の支援者団体から、戦争で教科書がなくなった子どもたちのために、義援金の一部でプリンターを購入したとの報告があり、同時に送られてきたプリンターと共に写る笑顔の現地の子どもたちの写真に目を細めていました。