「3年で退職しましたが、その中でもたくさんのことを学びました。私は経理担当で、月一の管理職会議で売上報告をしていましたが、最初は説明がうまくできなくて、まったく伝わらなかったんです。それが上司に勧められ、プレゼン研修を受けたらしっかり伝えられるようになって。大事な情報を伝える力の重要性を体感することができ、それは今、発信者としても役立っています」
退社後は自分に合った職を探し続けた。トライ&エラーを繰り返しながら、さまざまな経験や武器を身につけていく。
「そこからは、興味のあることに飛び込んでみようという感覚でした。人や心に興味があったので、カウンセラーになるための学校に通ったり、デザイン会社に勤めたり。どの場所でも、今の活動に繋がる何かが学べました。カウンセラーの学校では、話を聞く技術を学べ、それは、イベントのMCやインタビュー動画に生かされています。デザイン会社は、Adobeのソフトが使えるようになりたくて入社しました。お金を稼ぎながらもスキルを身につけられる会社を選んで働いていました」
発信活動を始めたのは、約2年半前。コロナ禍で誰もが身動きが取りづらかった2020年のこと。インスタグラムでいくつかのアカウントを運営し、現在の耳で聴く美術館のYouTubeチャンネルを開設。アート紹介のほか、ゆるいLIVE配信なども行うように。発信者としての人気が芽吹いたのは、21年にTikTokを始めてからだ。
「インスタやYouTubeは試行錯誤を繰り返して、それでもなかなか芽が出なかったのですが、TikTokでは2本目の動画が大きくバズりました(気鋭のパフォーマンスアーチスト「マリーナ・アブラモビッチ」を採りあげた動画)。その動画は、理由が明確。刺激が強いものや議論を呼ぶものは、やはり強い。仲間内で語りたくなるから、何度も観られるんです」
発信者としてもトライ&エラー精神は健在。まずは動画をアップして試し、そのつど、結果を分析して軌道修正した。さらには、セルフプロデュースにも意識を置く。YouTubeを始めた頃から、アイコンとして覚えてもらうことを意識して、中性的な容姿へとイメージチェンジしたのだ。
「動画をたくさんの人に見てもらうために、あえて中性的なルックスの方が多くの人に伝わると考えました。以前はロングヘアだったこともあるし、服装もフェミニンな服装が好きでした。実際、この容姿にしたら多くの人に覚えてもらえ、女性のファンの方も増えました」
発信者としての転機は、森美術館や寺田倉庫などアート界を牽引する組織との出会いだという。