ソニー盛田がベータにこだわり続けた理由、ビデオ戦争の「真相」

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ベータ陣営だった会社が、VHSのビデオデッキを併売するようになり、やがて完全にVHSへと鞍替えしていく。ついにソニーも88年にVHSのデッキを販売するようになり、事実上のベータ撤退となった。78年に生産台数で負けてから10年後のことだ。

盛田さんがベータ方式で戦えると粘ったのが最大の敗因、というのが大方の見方だった。盛田さん自身も「わしの判断が間違っていた」と語ったと社内で伝わっていた。

当時のソニーは盛田会長、大賀社長が経営の中心で、井深さんは76年に名誉会長に退いていた。CEO(最高経営責任者)の盛田さんが判断を誤ったと認めたのは当然のように見られていた。

ただ、私には腑に落ちない点がいくつかあった。盛田さんは市場の動きに敏感だ。旗色が悪くなってから10年以上も頑張るのは盛田さんらしくない。盛田流のビジネスなら素早く2方式の併売に舵を切り、VHSでもソニーらしさを発揮できたのではないだろうか。

真相は「墓場まで」─?


ビデオ戦争が過去の話になった頃、ビデオ規格の担当者に私の疑問をぶつけたことがある。彼は重要な会議に参加していたからだ。

「あのとき、盛田さんがベータにこだわり続けたのはなぜでしょうかね?」

 「君たちが考えているのとは違う理由だよ」

「盛田さんの判断じゃないとしたら誰でしょう。大賀さんが決めるはずはないし......井深さんですか?」

 私の問いに、彼はニヤリとした。

「わかってくれると思うけど、真相は墓場まで持っていかなくちゃならん」

彼はイエスともノーとも断言しなかったが、意味ありげな表情から「やはり井深さんだったか」と確信した。

私は前々から、ソニーがベータ方式に固執したのは、井深さんの意向が強く反映していたのだろうと考えていた。井深大の思い描く世界観──「井深イズム」においては、製品 はより小さく、より高品質、より高密度な方向へ進んでいくと考える。ソニーがベータ方式からVHS方式へ移行してしまえば、井深さんが考える技術の進歩と逆方向になってしまう。井深さんとしては、ソニーらしくないと思ったのだろうと想像できた。

さらに、VHS方式の技術主幹は日本ビクターであり、2番手が松下電器であることもソニーにとってはやりにくい座組だ。VHS方式で新技術を開発しても情報共有を求められたり、他社と足並みを揃えたりすることが求められる。ベータ方式のようにソニー独自で技術革新を進め、新製品を発売することが難しくなるのだ。つまり「他社がやらないことに挑戦する」というソニースピリットが発揮しにくくなる。

長年の疑問が一気に氷解する思いだった。

井深さんがVHSへのシフトを断固拒否すれば、盛田さんにはどうすることもできなかっただろう。「わしが判断を誤った」と泥をかぶり、余計なことを言わなかったのも理解できる。もし本当に盛田さんが判断したのであれば、誰もが納得する理由をいくらでも並べてくれたに違いない。

『ソニー創業者の側近が今こそ伝えたい 井深大と盛田昭夫 仕事と人生を切り拓く力』(郡山史郎著、青春新書インテリジェンス)

『ソニー創業者の側近が今こそ伝えたい 井深大と盛田昭夫 仕事と人生を切り拓く力』
(郡山史郎著、青春新書インテリジェンス)

文=郡山史郎

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