ソニー盛田がベータにこだわり続けた理由、ビデオ戦争の「真相」

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元ソニー常務である著者は、ソニー創業者盛田昭夫、井深大の側近として、その仕事や生き様を間近で見続けてきた。名経営者の力強い言葉の数々を紹介する『ソニー創業者の側近が今こそ伝えたい 井深大と盛田昭夫 仕事と人生を切り拓く力』(郡山史郎著、青春新書インテリジェンス)から以下、その一部を転載で紹介する。

かつて、家電業界がベータマックス、VHSの両陣営に分かれて戦った「家庭用ビデオデッキ」戦争があった。その戦に「敗北」したソニーだったが──。


対、日本ビクター・松下・シャープ……の「戦争」


ソニーがベータマックスの家庭用ビデオデッキを発売したのは1975年のこと。一方、 日本ビクター(現・JVCケンウッド)がVHSの家庭用ビデオデッキを発売したのは、 その翌年(76年)だった。ベータマックスの登場、そしてヒットにより、家庭用ビデオ市場は急速に拡大していった。

ベータ方式は画質がよく、カセットテープが文庫本サイズで小さかった。当初は、カセットテープ一個の録画時間が一時間だった。対するVHS方式のほうは、カセットテープが大きい代わりに録画時間は2時間。ビデオデッキが軽量で、カセットテープの値段が安いことなどが特徴だった。

ベータ方式はソニーを中心に東芝、三洋電機、NECなどが販売し、VHS方式は日本ビクターを中心に松下電器(現・パナソニック)、シャープ、三菱電機、日立製作所など が販売した。家電業界が両陣営に分かれて競ったから「ビデオ戦争」と呼ばれた。

当初はベータ方式のほうが普及していたが、松下電器のヒット商品「ナショナル・マックロード」などもあって、78年度にはVHS方式が生産台数で追い抜き、80年にはビデオソフトのシェアも追い抜いた。

私は、「ビデオ戦争」が熾烈だった当時のソニーは知らない。73年にいったんソニーを辞めて米シンガー社に転職し、81年にソニーに戻ったからだ。

「ソニーのビデオはもうダメですよ」


シンガーは松下電器から見たらお得意様で、私が門真の本社を訪問すると、下にも置かないもてなしを受けた。松下正治さん(松下幸之助さんの娘婿)主催で昼食会を開いてもらったこともある。

「ビデオ戦争」の頃、松下電器の担当者と雑談していたら「郡山さんは元ソニーですよね。何を担当されていましたか?」と尋ねられた。私はソニー・アメリカで業務用ビデオを販売していたから「ビデオです」と答えた。

「そりゃあ、ソニーを辞めてよかった。ソニーのビデオはもうダメですよ」

私にはとても信じられなかった。当時はソニーに戻る気などまったく持っていなかったが、相手の言い方にカチンときた。別れた女の悪口を言われたみたいで、私まで侮辱されたように聞こえたのだ。このやりとりは数年後、ソニーに復帰した私が松下電器と競争して徹底して打ち負かそうとする強いモチベーションになってしまった。
 
私がソニーに戻った頃、世間では「VHS勝利」の見方が広まっていた。84年にソニーは、新聞の全面広告を4日連続で打った。大きな文字のキャッチコピーだった。

「ベータマックスはなくなるの?」

「ベータマックスを買うと損するの?」

「ベータマックスはこれからどうなるの?」

「ますます面白くなるベータマックス!」

ソニーはベータマックス事業から撤退しない、今後も技術開発を継続する、というメッセージは注目を集めた。ベータマックスを支持するユーザーは安心しただろう。その一方で、ビデオ戦争での敗北をわざわざ広めて逆効果だったという批判の声もあった。家庭用ビデオに直接かかわっていない私は、苦肉の策だと思って見ていた。
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文=郡山史郎

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