思いは地球をリレーした! 北野武が語ったアフリカ「人づくり、20年後のすごい展開」

北野 武(映画監督)

本日発売の『Forbes JAPAN』4月号の表紙を飾るのは、「世界のキタノ」こと北野武。

なぜ、たけしがフォーブスに? 

実は、北野が20年以上にわたって地道に取り組んできたことが、事業として、アフリカの地で結実しているのだ。それが国連開発計画(UNDP)や国際協力銀行(JBIC)を巻き込み、地球規模にまで発展したことは、日本ではほとんど知られていない。

世界最貧国の一つであるベナン共和国での活動、人を育てるということ、そして人を動かす極意──。北野が本誌に初めて語った壮大な物語の一部を、ここでお届けしよう。



善意が思い通りのかたちになるなんて甘いもんじゃない

北野武(以下、北野):アフリカと縁ができたきっかけは、TBSの『ここがヘンだよ日本人』(1998〜2002年、司会・ビートたけし)。外国人を100人集めてスタジオで日本人タレントと討論させる番組で視聴率も高かった。

外国人が日本の生活での疑問を噴出させて大げんかになるんだけど、旧植民地側と宗主国だった欧米側の言い合いがヒートアップすることがよくあった。例えば、フランスの植民地だったアフリカの国の出身者がフランスの悪口を言ったりね。

アフリカ人のレギュラーが何人かいて、そのなかで面白かったのがベナン出身のゾマホン(・ルフィン、元駐日ベナン大使)。「なぜそんなに日本語をしゃべれるんだ?」と聞いたら、あいつはエリートなんだ。北京に国費留学して、そこで東京の下町のプレス工場の息子と知り合い、日本に誘われてやって来た。上智大学に通いながらプレス工場で一生懸命に働くんだけど、フラフラになってあいつは指を切断するんだ。

ところが、あいつは病院に行ったら、「こんなに素晴らしい待遇はない」と喜んでいるわけ。で、「こんなに手厚く看護してもらえるのなら、ほかの指も……」なんて言うから、「お前、タコじゃないよ!」って(笑)。ゾマホンは工場の社長が亡くなった後も、墓参りに欠かさず行って日本に呼んでもらったことを感謝している。まあ、大変だなと思っていたら、俺のところに来たいと言う。

「お前は何にもできないんだから、たいした給料は出せないぞ」と言ったら、故郷のために国の仕事もしたいので空いた時間で働かせてほしいと。それでずっと俺のところにいるんだよ。ゾマホンが言い続けているのが、国のためには教育が大事だってこと。学校をつくって識字率を高めて、国の経済を発展させたいという。それでベナンに学校をつくったんだ。

ベナンのコロボロル村に2003年に設立した「たけし日本語学校」 。

ベナンの都市部から415km離れたコロボロル村にある「たけし日本語学校」 。


2000年に「たけし小学校」、03年に「たけし日本語学校」が開校した。しかし、教室に飾られた「人生甘くない」という書が象徴するように、単に支援で済む話ではない。乗り越えなければならないのは旧植民地ならではの経済構造だ。試行錯誤の挑戦が始まった。
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文=藤吉雅春 写真=ヤン・ブース スタイリング=堀口和貢

この記事は 「Forbes JAPAN 特集◎スモール・ジャイアンツ/日本発ディープテック50社」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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