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2023.04.13 10:00

「社会を動かす10の方程式」を成功者はどう使っているか

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エイミーは黙ってじっと座り、ふたりが帰るのを待っている。さて、この出来事についてどう考えるべきだろう?
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ほとんどの人は、エイミーの立場だったら、悲しくなったり、腹が立ったりするだろう(その両方かも)。でも、その反応は正しいのだろうか? 確かに、レイチェルのしたことはよくない。エイミーにとっては初日だし、あんなふうに人の悪口を言うのはよくない。ただ、問題は、レイチェルの罪を許し、もういちどチャンスを与えるべきかどうかだ。

答えはイエス、絶対にイエス、何がなんでもイエスだ。許したほうがいい。いや、許すべきだ! それも今回かぎりではなく、何度かは。ひどい発言をした人、本人がいると気づかずに陰口を叩いた人を、ぜひ許してあげたほうがいい。

なぜか? お人好しになるべきだから? 心を踏みにじられても我慢するべきだから? 人間は自分を守るために声を上げられない弱い生き物だから?
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いやいや、そうじゃない。まったく違う。そのほうが合理的だからだ。論理や理屈に適っているからだ。公平だからだ。ベイズ牧師がそう言っているからだ。第2の数式によれば、それが唯一の正しい道なのだ。

その理由はこうだ。ベイズの定理は、モデルとデータの橋渡しをしてくれる存在であり、私たちの思い描く映画が現実とどれくらい一致するのかを判定するのに役立つ。本章の冒頭の例で、飛行機が激しく揺れている場合の墜落の確率P(墜落|揺れ)を求めた。エイミーが知りたがっているのはP(性悪女|悪口)だが、理屈はまったく同じだ。

「墜落」と「性悪女」は、私たちの頭のなかにあるモデルだ。いわば世界に対する私たちの信念であり、思考(私の場合は映画)という形を取る。一方、「揺れ」と「悪口」は、私たちの眼前に存在するデータだ。データは、実際に触り、体験し、感じることのできる具体的な出来事だ。応用数学の大部分は、モデルとデータ、私たちの夢と厳しい現実、それをすり合わせることで成り立っている。
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