スタンフォードに新設、サステナ学部が持つ「危なっかしさ」の神髄

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一方で、サステナビリティ学部は、従来からあった「地球・エネルギー・環境科学部」の看板をかけかえたにすぎないと揶揄されることもあるようです。講義の多くも、従来からあったものの体系(カリキュラム)を組み替えただけで何も変わらないじゃないかとか。具体的な取り組みには、試行錯誤しているようにも感じています。
 
実際に履修しているサステナビリティの授業では、多くの講師が地球の持続可能性対応の緊急性を訴えています。学生も真剣に気候変動を解決しようと議論しています。

実はこの熱気には当初かなりとまどいました。これほど大きい議題なので、よく考えると突っ込みどころが多くあります。例えば発展途上国の経済負担の問題とか、再生可能エネルギーの不確実性とか。

日本人の感覚だと、こうした論点をまずは出し切り、議論を積み上げ調整し、ようやく議題が共有されるという流れだと思います。これがスタンフォードでは逆です。まずは大きなテーマを設定して、「言い切ってしまう」。世界中から集まった頭のいい人たちが、私からすると「あぶなっかっしい」ことに全振りしている様子を何度も目の当たりにし、不思議でなりませんでした。
 
──「言い切ってしまう」の具体例はありますか。

「ビジネスウォーター」という講義があって、水ビジネスを投資対象とするベンチャーキャピタリスト(VC)が講義にやってきました。当然、「なぜ水投資なのか」という点が参加学生の関心だったと思うのですが、その投資家は「今やるべきことは水だと感じたから」と一言で言いきったのです。そしてマクロの長期視点の議論が繰り広げられました。ミクロの議論をほとんどしないので、私にはやはり「あぶなっかしい」話に聞こえました。
 
とはいえ最初は不思議で仕方なかったこうした光景も少しずつその神髄がわかってきたように思います。

それはつまり、「計算不可能な未来の何かを変えようとすると、細かい議論は無限にある。だからこそあえて、強い意志で細かい議論を振り落としてでも、大きなテーマを掲げ共有し前に進もう」という考えです。

このような文化を共有しているからこそ、ここスタンフォードから、社会を変革するような起業家が数多く生まれているのかもしれませんね。
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文=芦澤美智子、尾川真一 編集=露原直人

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