GMO熊谷正寿の成功論──報酬や場所で仕事を選んだら、結果は出ない 

Getty Images

インターネットのインフラ事業、広告・メディア事業、金融事業などを世界20カ国に展開して、10の上場企業、110のグループ会社、7000人を超える従業員を有する「GMOインターネットグループ」。1991年に会社を21歳で立ち上げ、30年余りでここまでの企業グループに育て上げたのが、代表の熊谷正寿(くまがい・まさとし)さんです。

高校を中退して、10代は生きるための仕事に忙殺されていました。それでも暮らしは火の車で、傾いたアパートに住んでいたといいます。

かつてのインタビューでは、当時についてこんな話をしていました。

「苦しかったですね。ただガムシャラに日々を過ごし、時間が浪費されていくだけの人生に、激しい焦りを覚えていました」

転機が訪れたのは、21歳のとき。熊谷さんは、あるものをつくるのです。それが「やりたいことリスト」でした。リストとして書き出すことで胸がスッとしたといいます。

そして一念発起してつくったのが、後に熊谷さん流の成功のツールとして知られるようになる「夢・人生ピラミッド」と「未来年表」でした。

「やりたいことをどんどんリストアップする。そして、どうすれば実現できるのかを目に見えるようにした。これで、苦しかった気持ちがみるみる楽になりました。自分にはお金も学歴もない。仕事に追われて自由に使える時間もない。でも夢はこんなにたくさんあると」

夢や、やりたいことがないという人も世の中にはいます。なぜ熊谷さんには、たくさんのやりたいことや夢があったのでしょうか。そのあたりの事情をこう語っていました。

「それは、苦しかったからです。無人島に流されて何もなくなったら、あれがやりたい、これがやりたいと誰もが思うでしょう。21歳のときの僕は、まさにそんな状況でした。真っ暗闇のなかにいた。だからこそ、夢が次々に出てきたんです」

手帳は目標を可視化する重要ツール


21歳でつくった会社を、熊谷さんは15年後に上場させます。これは、当初の計画からは少し遅くなったものの、その誤差はわずか1カ月。

「どうしてそれが可能になったのか、理由は2つあったと思っています。1つは、目標を実現させるために、何をすればいいのか、達成へのプロセスを細かく組み上げていったからです。年、月、週、日にまでに落とし込んで考えました」

そしてその進捗状況については常にチェックしていったといいます。
次ページ > もう一つは?

文=上阪徹

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事