必要不可欠な「付加価値」、それがアニメ要素?
こうした潮流の中で、それでも古典文学を書籍として売っていくには何らかの付加価値が必要になる。もちろん紙媒体、文庫本という形式で読めること、所有できることも一つの付加価値だ。そこにアニメ、マンガの要素をプラスすれば、とりわけZ世代など若い世代の需要を強く喚起するであろうことは、想像に難くない。
また、単純に「無償である=より読者が増える」とはならないだろう。先述した通り青空文庫には15000作が登録されているし、キンドルで読める文学作品も数多ある。だが、一口に古典文学といっても全てに手をつけるわけにはいかず、かといって最初の一冊を選ぶのも非常に難しい。若い世代にとっては尚更だ。現代は身近に文学が溢れている時代ではないから、小説を読むという行為そのものに没入する機会が以前より圧倒的に少なくなっている。まして、あえて古典文学を選ぶ理由はどこにも見当たらないようにも思える。
そんな彼らにとって、「文スト」コラボのような企画は古典文学に触れる、絶好のきっかけとなるはずだ。古典文学の世界は、過去に向かって縦横無尽に広がっている。その広大な空間から自分にとっての宝石を掴み取るのは気が遠くなる作業といえる。だからこそ私たちには最低限の案内が必要だ。「文スト」コラボは現代の若者にうってつけの案内となるのだろう。
「推しているキャラクターが表紙だから」というような理由で古典文学の世界に入った彼らは、思いも寄らない形で、人生を変えるほどの一冊と出会うことができるかもしれない。今なお読み継がれている古典文学は、名作の太鼓判を押されているものばかりだ。しかし「自分にとっての名作」との出会いはいつも唐突で、運命的である。
どのような作品も読まれなければならない。読まれるためには、知られる必要がある。知られることで読まれるようになり、読まれるようになって初めて語り継がれるようになる。そして知る世代が若ければ若いほど、語り継がれる可能性も上がるはずである。間口を広くすることは、作品と読者の双方にメリットをもたらす。
そのメリットは、現在の人気作から古典に触れるという流れだけではない。逆も然りだ。筆者はある程度古典文学を知っているゆえに、現在連載中の「文スト」に興味を持つことができた。異色と思えるコラボレーションだからこそ、読者に新たな作品との出会いを多く生み出すのだ。
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。