「余裕がなくなった親」を息子はどう見ている?丨映画「自転車泥棒」


だがブルーノは明るい。母が包んでくれたランチを父と同じように胸のポケットに入れたときの表情は誇らしそうだ。その上出かける前には、ベビーベッドの横の窓を、赤ん坊が風邪をひかないよう閉めるという気配りもできる。

既に分解されているかもしれない父の自転車を探し出そうと、市場で売られている大量の自転車部品を真剣な表情で見つめる目。どうやら小児性愛者と思しき男が甘い言葉をかけてくるが、警戒して相手にしない。

やっと犯人を見つけ追いかけたアントニオが人々に囲まれ窮地に陥った時は、いち早くその場を離れて警官を呼んでくる。最後に、他人の自転車を盗んで群衆に追われ警察に突き出されそうになったアントニオを、結果的に救ったのもブルーノの存在である。

ブルーノは、父アントニオと並んで街中を歩き回りながら、頻繁に父の顔を見上げている。それは、苦悩に顔を歪めた父の内心をおもんばかる息子の顔であり、同時に、商売道具を盗まれて進退極まった労働者を”同志”として案じる顔でもある。

監督が街で見つけてきたというブルーノを演じるこの子役の顔に、無邪気さと大人びた影が交錯するのは、この役柄が、歳相応に何も心配事のない生活を甘受している子どもではないからだ。おそらく敗戦は、ブルーノのような子どもを普通より少し早く大人にしてしまったのだろう。


ブルーノ・リッチ役を演じたエンツォ・スタヨーラ(2013年)

「自転車」のことで頭が一杯な父親


一方、息子に比べると父はいささか問題がある。

冒頭のシーンでも、他の失業者たちは告知を聞こうと必死になっているのに、一人離れたところにのんびり座り込んでいて、仲間が「呼ばれたぞ、早く行け」と知らせにくる有様だ。両手に重い水の入ったバケツを下げて家に帰る途中の妻に遭っても、相談を持ちかける前にまず一方のバケツを持ってやるという気働きはできない。

自転車を盗まれるのも脇が甘いと言えるかもしれないが、その後夕刻に遅れてブルーノを迎えに行き、「自転車は?」と問われてもむっつりと沈黙のまま。一時的にでも息子を不安に晒さないよう気遣う繊細さに欠けている。

自転車の捜索中も、父につきあいながらトイレに行く暇もなく物陰で用を足したりしている息子のことを、アントニオはあまり考えていない。自転車のことで頭が一杯なのだ。

犯人と接触した老人につきまとって教会の貧窮会のミサにまで入り込み、嫌がる老人に執拗に尋ねるのも、まったく周囲が見えていない。人々のひんしゅくを買いながら教会の中を走り回る父の後を追いつつ、祭壇の正面を横切る時は一応十字を切るブルーノの方がよほど大人だ。

「ママなら聖女様のところに行くかな」とブルーノに言われ、それまではさんざんバカにしていた占い師の家に押しかけて列に割り込むものの、盗まれた自転車についてどうでもいいような回答しかもらえないのが間抜けである。
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文=大野左紀子

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