アントニオ猪木が無人島で薦めた「魂の一冊」──編集長コラム

故・アントニオ猪木 / Getty Images


そして、こう続けた。「雨音を聞いているのは楽しかったね。待つことだって楽しみなんだよ。以前、古舘伊知郎と待ち合わせをしたとき、彼が遅れてきたことがあった。遅れたことを恐縮して詫びるんだけど、詫びる必要なんてないと言ったよ。待つことを楽しめばいいんだから。待つのも人生だよ」。

このとき思い浮かべたのは、ブラジルのコーヒー農園で過酷な労働の日々を送る13歳の猪木少年が雨宿りをしている場面だった。木陰でじっと雨音を楽しんで聞いている1人の少年の姿である。のちに世界的スターになる彼の意外な原点のような気がした。

猪木さんが13歳で家族とブラジルにわたった話は有名である。そして、その人生には身近な人の死がつきまとっている。5歳で父親を亡くし、祖父、母親、兄弟とともにブラジルに移民するため日本を出港した。しかし、慕っていた父親代わりの祖父もブラジルに向かう船上で急死。船に遺体を安置するわけにいかず、棺桶を日の丸の国旗で包み、水葬で送らざるをえなかったという。祖父は日本で事業に失敗したものの豪傑であり、猪木さんにとっては眩い存在だった。それだけに、甲板の上からお棺を送った海を眺めながら、水平線に太陽が沈むまで泣き続けたという。

その後、ブラジル遠征中の力道山からスカウトされ、力道山の付き人になった。だが、その出会いから3年後に「日本プロレス界の父」と呼ばれた最強の男は刺殺された。

猪木さんはアメリカ修行中に最初の結婚をしている。そのときに生まれた娘も、小児がんにより8歳で亡くなった。

これらの事実だけでも波乱に満ちた半生である。しかし、本人からドラマティックな苦労話が語られることはなかった。また、モハメド・アリとの世紀の一戦や湾岸戦争時のイラクの日本人人質解放などの偉業を「偉業」として語ることもなかった。一方で、にわか雨に苛立つことなく、いまこの瞬間の雨音に楽しみを見出す。壮大で波乱に満ちたストーリーという「型」にはめるのは間違っているように思えた。あらゆる出来事を受け入れてきた彼が、子どもの頃に到達した人生観──もっと違う次元に立っているような気がしたのだ。


モハメド・アリとの世紀の一戦 / Getty Images
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文=藤吉雅春

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