静岡の天ぷらの名店 「成生」で繋がる生産者と料理人のバトンリレー

静岡「成生」の主人・志村剛生氏(写真=升谷玲子)

日本全国から、「成生」(なるせ)のカウンター8席に座る権利を求めて争奪戦が繰り広げられている。成生とは、静岡から、その名を轟かせる天ぷら店である。

天ぷらと言えば、長らく江戸前が本流とされてきた。ご存じの通り江戸前とは、江戸風という意味ではなく、江戸の前、つまり、東京湾でとれた魚を揚げるところからつけられた流儀名だ。

成生はそれを逆手にとり、駿河湾で採れた魚と近隣の野菜しか使用しないことから「静岡前」を名乗っている。駿河湾は日本一の水深3000mを誇り、魚種の豊富さでも日本有数。同時に静岡は気候が温暖、土壌も豊かでその昔から食材に恵まれてきた。

しかし、それだけに、創意工夫に欠けたというか、のんびりしていたというか、突出した飲食店というものが育たなかった。予約のとれない店というのは、まさに、静岡の歴史始まって以来のことだという。

成生の天ぷらの何がすごいかって、試行錯誤の上に進化し続ける独自の技術(例えば粉をマイナス60℃まで冷やすことなど)で、他の都市では真似のできない鮮度とクオリティの素材を揚げることだ。たとえば、江戸前ではご法度とされる、切り身の魚を揚げることも、成生のスタイルの一つ。

成生の天ぷら

「鮮度がよくて、魚の仕立て(適切な処置を施すこと)が的確であれば、やや大きな魚の切り身だからこそのふっくらした身と溢れる旨味を愉しむことができるんです。細胞一つ一つが水分を保っていて、その水分が美味しさにつながります」と、主人・志村剛生氏は言う。

実は、こうした独自のスタイルは、「サスエ前田鮮魚店」の前田尚毅さんとの出会いがあって初めて成し遂げられたものだ。前田氏とは焼津で5代目となる鮮魚店を営み、その卓越した目利きと仕立てにより、全国のトップシェフは言うに及ばず、海外からもその魚が嘱望される名人だ。

志村氏は、その実、静岡の出身ではない。大学卒業後、オーストラリアに留学中、居酒屋でアルバイトをしたのが飲食業との出会いだった。オーストラリアに残るために調理師免許をとろうと一時帰国し、たまたま紹介された焼津の割烹で働き始めた。免許をとったらすぐにオーストラリアに戻ろうと思っていたが、オーストラリアで触れていた素材との違いに驚き、次第にこんな素材で料理をしたいとのめり込み、静岡に腰を落ち着けることになった。

その素材というのが前田氏が目利きした魚である。以来、前田氏を師と慕い、割烹の仕事の中でも天ぷらの面白さに目覚め、15年前に天ぷら店「成生」を開いた。

その後は文字通り、前田氏と二人三脚で歩んできた。それは、7人座るのが精いっぱいの小体な店から、見事な日本庭園を眺めながら至極の天ぷらを食べ、席を移して煎茶を愉しむ現在の店に移転した今も変わらない。朝一番にサスエを訪ね、前田氏が目利きし、仕立てた魚を、その日の仕入れとして受け取る。それをどのような順番で出してコースに組み立てるかを考え、全力で揚げるのが、志村氏の仕事なのである。
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文=小松宏子 写真=升谷玲子

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