「ウクライナ抜きのソ連はありえない」
ソ連崩壊前の1980年代後半、ソ連の一部であった共和国は、さらなる自治権を要求し始めた。共和国は、ソビエト連邦において圧倒的な地位を占めるロシアからの自由を求めるようになった。しかし、ゴルバチョフは各共和国の指導者たちに、ソ連に留まるよう促した。1991年10月、ワシントンポスト紙のインタビューに答えたゴルバチョフは、「ウクライナ抜きのソ連はありえない」と述べている。
ゴルバチョフの訴えにもかかわらず、ソビエト連邦を構成する最大の共和国であるウクライナは、1991年12月の国民投票で、圧倒的多数の賛成を得て独立を宣言した。
ウクライナの作家で国会議員のヴォロディミル・ヤヴォリスキーは、ロサンゼルス・タイムズのインタビューで、この投票結果について、「昨夜は、おそらく世界史上最悪の帝国が終わりを告げた」と発言した。
しかし、ゴルバチョフはこの住民投票の結果を重くは見ず、共和国との政治的な統合を維持しようとした。「共和国は、まだソ連邦に加わることができる」と主張したのである。
BBCの記者ミロスラヴァ・ペツァによると、「ゴルバチョフはソビエト連邦の崩壊を計画していなかったし、望んでもいなかった。最終的な結果として、彼は事実としてのソ連崩壊を受け入れたのだ。それゆえ、ほとんどのロシア人は彼を嫌っている。つい最近まで、彼はロシアの偉大な擁護者だった。ウクライナとの戦争で、ゴルバチョフは自分の信念を考え直さざるを得なくなった」。
ウクライナが独立を決めた後も、ロシアは、ソ連当局の決定でウクライナの一部となったクリミア半島について疑問が残ると主張した。
2013年、ゴルバチョフはBBCのインタビューで、ソ連の崩壊は「犯罪」であり、「クーデター」の結果であると述べた。翌2014年にロシアがクリミアを併合すると、ゴルバチョフは、世界中の抗議をよそに、この動きを支持すると宣言した。
「以前クリミアが、ソビエト連邦の法律すなわち共産党の法律に基づいて、国民に聞かずにウクライナに併合されていた場合、いま国民自身がその間違いを正すことにしたのだ」と、ゴルバチョフはモスクワ・タイムズのインタビューで語っている。2016年、この発言や同様の発言が理由で、ゴルバチョフはウクライナへの入国を禁止された。
Forbes Uklaineの記事からhttp://www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳し、編集部で編集を加えた。
(Forbes Uklaine 原文)