スピーディな思考は「遅考」を重ねてこそ得られる
テーマや問題のチョイスにも、読者を飽きさせない工夫が凝らされている。「何故ゼウスやオオクニヌシのような古代神話の神々には好色という設定がつきものなのか?」といった例題や、森鴎外と脚気との関係性を語る挿話は、それ自体が知的好奇心を刺激してくれ、ページをめくる原動力として働いている。そして、気付けば通読できる仕組みになっているのだ。
親切心が全編を通して見られるおかげで本書は、こういった、思考法にアドバイスを与えてくれる書籍を手に取った経験がない人にとってうってつけの入門書に仕上がっている。入門書だからといって内容が浅いということも決してなく、むしろ書かれている内容を網羅できれば、実生活上で十分に役立てられるはずだ。「これぐらいでは物足りない」という読者には、著者自らが選定したブックガイドが用意されている。どこまでもサービス精神の行き届いた書籍である。
遅考術を一朝一夕に習得するのは困難だ。著者も「練習を繰り返さないと遅考術が身につかないのも、人間にとっては自然なことだ」と忠告している。しかし、少なくとも私たちが日ごろ感じている、自身の思考に対する歯痒さ、のようなものは本書を読むことで解消できるだろう。また、著者は「スピーディな思考は、もともとの頭の瞬発力に頼ることなく、遅考の積み重ねから到達することも可能」だとしている。じっくりと考える癖を身につけられれば、効率よく、論理的な思考を行えるようになるのだ。
「おわりに」に隠されたもう一つの問題
昨今はコロナウイルス関連だけでなく、たとえば元首相をめぐる一連の事件に関する玉石混淆の情報が、SNSを介して高速で流通している(奇しくも、本書の最終問題である問52のタイトルは『米国大統領暗殺をめぐる陰謀論』であり、陰謀論と対峙することの難しさに言及されている)。私たちは高度なリテラシーを常に求められているが、何をどのようにすればリテラシーが鍛えられるのか、詳しく教えてもらえる機会は滅多にない。「情報の取捨選択」「自分の頭で考える」などと一口で言うのは容易いが、正しく実行するのは驚くほど難しい。
本書は、情報の取り扱いや思考について混乱しがちな私たちに、意識的にゆっくり考えるという明快な答えとともに、そこへたどりつくまでの豊富なヒントを与えてくれる。著者が唱える「遅考」の境地に至るにはなかなか時間がかかりそうだが、前述した軽快な読みやすさや興味をそそる内容のおかげで、繰り返し読むのも苦労しない設計になっている。手元に置いて、空いた時間にページを開くのにも最適だろう。
ところで、本書の末尾にはもう一つ「問題」が隠されている。初読でこれを見つけた読者は思わず唸らされ、一読しただけで学習できた、とついつい思ってしまう自分自身を疑うことができるようになるだろう(本書の序盤に書かれている「自分を疑い、条件をもう一度確認する」という語句が必然と思い出されるはずだ)。本書を手に取った方は是非レッスンだけでなく「おわりに」まで読み切ってほしい。
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。