その後アフェヤンは、2008年に米国の市民権を取得。彼は、自身がリスクを取ることや常識に逆らうことをいとわないのは移民であるおかげだと言う。
「行動する勇気は、長くひとところに根を下ろすことができなかった経験に根差しています。また、不安定な状況に抵抗がなく、すべてが決まっていなければいけないとは考えていないところもそうです」
フラッグシップが創業した20年前、ドットコム企業が市場を熱狂させていた。バイオテックは人気を落とし、特定の医薬品ではなくmRNAのような基礎研究に取り組む、いわゆる「プラットフォーム企業」は特に人気がなかった。しかしアフェヤンは、ほかの誰がどう考えようと気に留めなかった。
時を経て、アフェヤンは新しい会社のアイデアを広く引き出す仕組みを設けた。例の「もし」の問いを起点にするのだ。既存のアイデアの周りに円を描き、その外側にある、既存のアイデアと隣り合わせの実現していないアイデアの周りにもう一回り大きな円を描く。
「二重の円の外側が、人が取り組むのは無謀だと考える領域です」(アフェヤン)
この無謀な領域こそが、アフェヤンにとっては狙い目なのだ。なぜなら、大きなブレークスルーはそこで起きるからだ。フラッグシップには、研究者たちが数十のアイデアを検討し、一部を受け入れ、それ以外を却下する仕組みもある。アフェヤンはこのプロセスをダーウィン流と表現する。研究者たちはアイデアを吟味するなかで、アプローチや研究開発の対象を変えるが、その際、急な方針転換が外部からどのように見られるかを、ほとんど意に介さない。
「私たちは進化のプロセスをたどっているだけなのです」(アフェヤン)
生き残ったアイデアには番号を振り、縄張りを確保するために知的財産権請求を申請、最大で100万〜200万ドルを投資する。20年には18年の2倍以上の341件の特許を申請したが、昨年は前半の6カ月で379件もの特許申請を行った。アイデアが証明され、研究室を卒業すると、新会社として名前を与え、完全子会社として2000万ドルないしそれ以上を出資。最終ゴールであるIPOを目指す。
アフェヤンいわく、自社で事業アイデアを生み出し、自社でシードおよびアーリーステージのベンチャー資金のすべてをまかなうことにより、フラッグシップは通常、自社のスタートアップ企業の50%前後をそのIPO時点でも所有している。フラッグシップのゼネラル・パートナーで、アフェヤンの遠縁でもあるアバク・カーベジアンは、こう指摘する。
「ほかとは大きく異なるモデルです。いうなればアフェヤンが考案したモデルなのです」
もちろん、すべての事業が順調なわけではない。1000万ドルないしそれ以上を投資した企業4社と、それよりは投資金額の少ない13社のアーリーステージのスタートアップ企業を廃業させており、業績が横ばい状態に陥っている事業もある。
インディゴ・アグリカルチャーは13年の創業で、微生物を使って種子の生産性を向上させようとする企業だ。農業系スタートアップとしては巨額の11億ドルを調達したが、苦戦している。20年9月、ソフトウェア会社ノベルの元CEOで、その2年前にエグゼクティブ・パートナーとしてフラッグシップに入社したロン・ホブセピアンが、インディゴのCEOを引き継いだ。
「構想を実現させるためには、事業を適切な規模にしなければなりません」(ホブセピアン)