「人々は、地獄や道徳感を課す神への信仰といった超自然的物語を支持することで、人間同士をより協力的にしようとしています」と仏トゥールーズ高等研究所の心理学者マンヴィル・シンは説明する。「そして私たちがそれを取り入れる理由は、認知的に『くっつきやすい』からです。つまり、私たちの認知バイアスが、超自然的物語をより魅力的なものにしているのです」
シンと共著者のレオ・フィトゥーシによると、超自然信仰が人間を制御するのは、それが彼らがいうところの「認識的警戒」、すなわち人々がやり取りする情報の信頼性を評価する「メガネ」を迂回するからだという。
「たとえば私があなたに向かって、その食べ物には毒が入っているといった時、私が真実で有用な情報を提供しているかもしれないし、自分に食べ物を多く残すためにあなたを欺こうとしているのかもしれません」とフィトゥーシはいう。「だから人間には、他人が提供する情報が真実か否かを評価するための心理的メカニズムが必要なのです」
否定的要素の強い信仰、たとえば罰による脅しは、認識論的警戒を迂回する可能性が最も高い、とシンとフィトゥーシは強調する。
「研究によると、人は悪事をする者は不運に見舞われる可能性が最も高いと信じる傾向にあり、それは超自然的罰信仰の主張そのものです」とフィトゥーシはいう。「さらに人は、たとえは地獄で罰を受け続けることへの警告、といった脅迫的信念ほど受け入れやすい傾向があります」
これを踏まえて、シンとフィトゥーシは、超自然的罰信仰が、他人を支配しようとする社会的欲求の強い文化で特に広まりやすいことを指摘する。そのような文化は、「文化的窮屈さ」と彼らが名づける、厳格な社会規範をもつことが多い。
彼らの発見は、超自然的罰の信仰が、社会にとって前向きな結果をもたらし得ることを示している。
「超自然的罰信仰は、協調を促します」とシンは説明する。「そこには互いの行動を監視する力が働き、悪しき行動から人が得られていたであろう利益を打ち消すのに十分な犠牲を払わせます」
たとえば、インドネシアのある土着民族は、肉を分け合わない者を攻撃する水の精の存在を信じている。この信心によって、人々は食べ物を分け合うことを奨励され、部族内の協調性が高まる。
その信仰が経験的に魅力的であればあるほど、人間の認識論的警戒を迂回して現実に感じる可能性が高くなる。
「宗教的信仰、あるいはどんな文化的作品でも、それが広まる理由を説明するためには、それらの戦略的有効性と認知的魅力についてよく考える必要があります」とフィトゥーシは結論づけた。