わずかに先んじたのはジャック・エイムです。これ以上分解できないという意味で、水着に「アトム(分子)」と名付けています。これに続いたのが、7月5日に発表されたルイ・レアールの「ル・ビキニ」でした。発表直前の7月1日にビキニ環礁で行われた核実験の衝撃度合になぞらえてビキニと名付けたともいわれています。
アトムvs.ビキニの対決は、布の小ささ、ほとんどのモデルが着用を拒否した刺激的なデザインでビキニのほうがより強いインパクトを与えました。そのためビキニの名が浸透し、「初めてビキニ水着が発表された日」といえばアトムではなくビキニが発表された7月5日を指すことが多いのです。
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレで見つかったモザイク画にはビキニを身につけている女性が描かれており、古代ローマ時代にはビキニスタイルが禁忌ではなかったのであろうことがわかっています。しかし、その後は女性が肌を見せることに対する忌避感が広がり、ドレスや普段とあまり変わらないような服で海に行くことが慣例となりました。
20世紀になり、オーストラリア人スイマーのアネット・ケラーマンが身体にフィットする水着が必要だとして自ら水着を開発します。しかし、1907年にボストンのビーチでボディーラインに沿う水着を着ていることを理由に逮捕。
時代が進むにつれて徐々に肌が露出する水着も増えていきますが、ワシントンDCのビーチで警官が女性水着の露出度合をチェックしている1922年当時の写真なども残っており、女性水着に対する視線は依然として厳しかったことがうかがえます。
1930年代になりワンピース水着やツーピース水着が世に浸透してもなお、へそが出ない水着が当たり前とされていたなか、既存の概念を打ち破るようにして登場したのが「世界で一番小さな水着」だったのです。
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