ファッションの自給は広がるか 岐阜の集落で「民衣」再生に挑む

石徹白に伝わってきた農作業用ズボン「たつけ」の貴重な原型


知恵と技術を次の時代へ


驚くのは、「たつけ」の作り方を、冊子やネット動画、ワークショップで惜しみなくシェアしていることだ。


冊子をベースにした作り方を細かく動画で説明している

「自分自身が惜しみなく作り方を教えていただいたので、シェアすることに迷いはなかったですね。最終的に何が一番持続可能かというと、やっぱり自分たちで服を作ることだと思うんです。背景は明確だし、直すことも簡単になります。『衣食住』という言葉があるくらい服は身近であるはずなのに、とても遠い存在になってしまっていますよね。実際、それに疑問を抱いていた方々からすごく喜ばれています」

このような“民衣”と呼ばれる服は、かつては日本各地にあり、風土に合わせて独自の発展をとげていた。しかし作り方を覚えている人がもうおらず、その存在を知られぬまま消えていってしまっているのだという。ここから、ファッションの自給が再び広がる可能性はあるのだろうか。

「私たちの生活サイクルや考え方が、当時からはあまりにかけ離れてしまっているので、原料の時点から自給するのは“心持ち”から難しいでしょう。ただ、生産のプロセスにいかに自分たちの手が加わっているか、地域ならではの文化が入っているか、で服への愛着も変わり、長く使っていくことにつながります」

「たつけ」を実際に作った人は、その考え抜かれた形に感銘を受けるという。そのため、平野氏は、仕立ての時点からの自給の広がりは十分にあると考えている。

「洋服をつくる際には、人の体をいかに美しく見せるかを考えて布を切っていきます。それに対して和服は、人が四角い布に体を合わせていく。つまり、人が自然の恵みに合わせているんですよね。このように日本で受け継がれてきた知恵に、まさに持続可能性があると思っています」

石徹白洋品店が石徹白という土地から受け継ぎ、次の時代につなげようとしているものは、どれも今ファッションにあらためて求められていることだ。私たちがそれぞれの土地で暮らし育んできた知恵と文化に、すでに「サステナビリティ」は存在していた。これから前に進もうとするときに、一度後ろを振り返ることを忘れずにいたい。




平野 馨生里(ひらの・かおり)◎石徹白洋品店 店主。大学時代、カンボジアの伝統織物を復活させるプロジェクトを研究対象としてフィールドワークを実施。その後、東京に住みながらふるさとの岐阜市でまちづくりの活動を展開。岐阜市にUターン後、2007年より岐阜県・石徹白の暮らしに惹かれて通うように。2011年、石徹白に移住後は、地域の伝統的な野良着をリデザインした「たつけ」を中心的に制作・販売する「石徹白洋品店」を2012年に開店。4児の母。

文=佐藤祥子

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