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2022.06.25 12:00

米国で「コンドーム王」となった移民起業家

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移民反対派は、コムストック法の厳格な施行を支持することが多かったという。移民排斥主義者は、イタリアのカトリック教徒をはじめとする移民が多数の子どもを産む一方で、白人のプロテスタントは避妊を選び「民族自滅」すると危惧していた。

しかし第1次世界大戦や病気のまん延への懸念から、政府は健康面で大きなメリットがあり需要も高い製品だったコンドームについて、厳しい取り締まりを控えるようになった。米軍もこうしたメリットを認識し、第1次・第2次大戦中、海外に派遣する兵士のためのコンドーム供給をシュミットに依頼した。

トーンによると、シュミットは消費者が避妊や病気予防などの重要な問題に関しては高くともきちんと機能する商品を選ぶと信じていた。シュミットのコンドームは他社製より高かったが、品質のばらつきがなく、1930年代に行われた試験では安全性と信頼性が確認された。

米国にはスタートアップビザがなく、外国生まれの起業家による事業運営の可能性が制限されている。米人工知能国家安全保障委員会(NSCAI)は、スタートアップビザの欠如により、米国は他国と比べ、海外生まれの起業家の誘致と維持において不利な立場にあるとの見解を示している。

経済学者は、イノベーションの多くは起業を通して培われると指摘している。シュミットの場合もそうだった。

彼は1927年の時点で、ニューヨークのクイーンズ区のコンドーム製造施設で150人の労働者を雇用していた。女性用の避妊具の販売も始め、47年には世界で年間1億3000万以上のコンドームを販売。50年には米国製コンドームの半分を販売するようになった。

トーンは次のように記している。「フォーチュン誌は1938年、避妊ビジネスに関する初の報告書で、ユリウス・シュミットを米国のコンドーム帝国の絶対的王者と宣言した。かつて極貧だったドイツ人移民が、アメリカンドリームをかなえたのだ」

編集=遠藤宗生

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