スチーブンソンは鉱山で働く父親のもとに生まれ、自身も鉱山で働く機械技術者でした。家が貧しく18歳まで学校に通うことができなかったため、炭鉱で働きながら夜間学校に通って読み書きや計算を学びます。やがて炭鉱で巻き上げギアの制御をする制動手となり、炭鉱のポンプを修理したことから技師に昇進。やがてスチーブンソンは、機械や蒸気機関に精通するようになっていきました。
スチーブンソンは、1814年に石炭を輸送するための実用的な蒸気機関車「ブリュへル号」を設計。車輪と線路の摩擦で走行するブリュヘル号は、30トンの石炭を積んで時速6.4kmで走ることに成功します。線路の強度などに問題はあったものの、これにより蒸気機関車の実用化が叶いました。
さらに、スチーブンソンは当時しばしば爆発事故の原因となっていたランプを問題視し、炭鉱でも爆発しない安全なランプも考案。無学の青年にこのような発明ができるのかと盗作疑惑も持ち上がりましたが、独自性が認められ「ジョーディ灯」と呼ばれて親しまれました。
その後も蒸気機関車に改良を重ねたスチーブンソンは、1825年に初の旅客用鉄道となるストックン・アンド・ダーリントン鉄道や、リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道などの開通に尽力。1847年には英国機械学会の初代会長にもなりました。
そんな立場になっても、高等教育を受けてこなかったことを恥じたスチーブンソンは、息子の教育を重視してエジンバラ大学で学ばせ、自分の補佐を頼んだそうです。こうして、炭鉱で働く無学だった青年は、多くの人々に福音をもたらす「鉄道の父」となりました。
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