コロナ禍で彼は、20年4月にGNOGを担保に13%近い金利で3億ドルの緊急融資を引き出した。そして2カ月後の6月、ランドケイディアIIが買収対象企業を見つけたと発表。それは高金利の借り入れを抱えたファティータ自身のオンラインゲーミング事業GNOGにほかならなかった。
同年12月にファティータのSPACがGNOGを7億4500万ドル(同社の収益の6倍相当)で買収する取引をまとめた時点で、彼はGNOGの株式49%と3000万ドルの現金を手にすることになった。しかもコロナ禍で受けた緊急融資を返済する義務から解放され、借り入れた3億ドルを手元に残すことができたのだ。
「こうした手法は買収対象の企業の業績にかかわらずスポンサーが必ず得をするようになっています」
マサチューセッツ州選出のエリザベス・ウォーレン議員を含む米国上院議会の4人の民主党議員は、ファティータとその他5人のSPAC王に宛てた21年9月の書簡でそうとがめ、利益の相反に見える取引についての釈明を彼らに要求、証券取引委員会(SEC)にはもっと詳しく調査するよう強く促した。
とはいえ、GNOGの投資家たちに不満があるわけではない。21年8月、ファティータはGNOGを15億ドルの株式交換でスポーツ賭博やファンタジースポーツを手がけるドラフトキングス(やはりSPAC取引で誕生)に売却する取引を成立させた。
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「あれは世界一の取引だったと言える」ファティータ本人はそう胸を張る。
「すでに一度、売却していた事業を、もう一度売却するんだからね」
レストランからカジノ、NBAチームまで
飲食業とエンターテインメント業は、彼の金融取引における離れ業と同じくらいファティータの多彩な経歴の重要な一角をなしている。彼の祖父や大叔父、父親はガルベストンでナイトクラブやレストランを経営、所有していた。
当初、ファティータは飲食業界には進むまいとした。1970年代末、ヒューストン大学を中退し、女性向け衣料品店やビタミン剤販売店、アーケードゲーム機の販売代理業などを立ち上げた。85年には28歳で客室数160室のホテルをガルベストンに開業。程なく60万ドルでいとこに売却した。
ファティータは元手にホテルの売却で得た現金を足し、ヒューストンの飲食店ランドリーズ・シーフード・イン・アンド・オイスター・バーとウィリイー・ジーズを買い取って、同じテキサス州内のガルベストンなど3都市に進出させた。
負債が1000万ドルと過剰債務の状態に陥ったが、87年の不況による金融機関の破綻が幸いしてこの借り入れを200万ドルで完済。80年代末にはガルベストン湾のキーマにあるマリーナ近くで飲食店を買い集め始めた。
やがてそこに観覧車を建設すると、海に面した約16haのこの土地を自身にとって初の「エンターテインメント」地区に変え、レストランなどを開店させた。
93年頃には、ファティータは収益3400万ドル、利益270万ドルを上げるようになり、ランドリーズ社の最初のIPOで2400万ドルを調達。少しでも節約するため、提供するフライドポテトの量を減らしたり、くし形レモンの数を減らしたりしていたという。
05年、ファティータはネバダ州のラスベガスとラフリンにある2つのゴールデン・ナゲットカジノを2億9500万ドルで買収、さらに3つのカジノを買った。そのうちニュージャージー州アトランティックシティのものは老朽化したトランプ・マリーナカジノリゾートで、買収額は3800万ドルだった。