パン食普及協議会によれば、そもそもパンが日本に入ってきたのは戦国時代まで遡ります。鉄砲伝来とともにポルトガルから持ち込まれ、以降日本で暮らす外国人のために少量のパンはつくられていたそうです。
日本人のためにパンが焼かれたのは、1840年から2年ほど続いた英国と清とのアヘン戦争がきっかけでした。その様子を見ていた江戸幕府は危機感を高め、備えの食料として「パン」に注目が集まったのです。
パンとは言っても、この時のパンは水分をほとんど含まない、いわゆる「堅パン」でした。戦場では炊事した時に出る煙が敵に居場所を知らせてしまう危険性がありましたが、パンなら保存も持ち運びも簡単。その「兵糧」としてのパン作りを進めたのが、江川太郎左衛門(英龍)だったというわけです。
江川太郎左衛門は、西洋の学問の導入や普及にも貢献し、海防の整備に尽力した人物でした。品川台場を整備し、鉄を鋳造するための反射炉もつくるなど、あの勝海舟も「かなりの人物であった」と認めるほどだったと言います。
1842年4月12日に、江川太郎左衛門は長崎のオランダ屋敷で料理方として勤めていた人物を自宅に呼び寄せ、パン焼釜で初めての「兵糧パン」を焼きあげました。この試作が好評だったことから、大規模にパンが生産されるようになり、鎖国が解かれるとパン食はますます広がっていったのです。
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