筆者も正にその1人だ。コロナ前、日本に出張で一時帰国する度に、電車内でマスクをしている人を横目で見つつ、その感じを受け入れられずにいた、その点アメリカ人と同じ感覚で長年過ごしてきたのだが、この2年でマスクをすることに抵抗感も違和感も抱かなくなった。わざわざ外さなくても良いか、とさえ思えるのである。
もうひとつの理由は、野外に限るが「気候」だろう。日本では当たり前のことかもしれないが、マスクは着用しているだけでかなり暖かい。ニューヨーカーもそれを知って、極寒のこの地域での防寒用具にもなっていたと言える。現在は春とはいえまだ肌寒い日が多いが、ここからどんどん気温が高くなると、野外でのマスク着用者は激減すると思われる。
ビジネスシーンにおける“ジャケット”と同じ
このように、マスクの着用が選択肢のひとつになった現在のNYだが、筆者は「ビジネスシーンや日常における“着用マナー”はあるのか?」という質問を受けることがある。
こうした「人と接する際のマスクの着用有無や判断基準」については、独自に奇妙なルールを編み出して発信する人も出てきそうだが、筆者は“余計なお世話だ”と思ってしまう。義務ではなくなったことは明白だからだ。
ただ、だからこそ「場を共にする人に対する相互配慮」が重要になっていると考える。服装などその他のプレゼンスと同様に、その人自身に“決定の自由”があるため、その人の意思が現れるいち要素になっているのだ。周囲の人間は、そのプレゼンスを見て、どのような思想や姿勢を持つ人物であるかを判断する。
国や地域ごとの法律においてマスク着用が義務ではない場合、また企業ごとに定められた規定がない場合、その着用の有無に正解はないと思う。そのような中で筆者の場合は「自己及び相互の心理的安全を保つこと」を意識している。
公共交通機関を利用しない時でも、外出時はマスクを必ず所持しており、着用義務のない場所であっても、まず自分自身が何やら嫌な予感がしたらマスクを着用する。また、その場にいる人にマスク着用者が多い場合や、他者はどうあれ同行する人がマスクをしている場合は、それに合わせて着用するようにしている。
「感染防止」ということ以上に、周囲の人間に対して「大丈夫ですよ」「共にいます」という意思表示をし、心理的安全を保っているという意識が大きい。
それは、ビジネスシーンにおいて、「規定にはないけれど、ここではジャケットを着る方がより相応しい、自分にとっても周囲にとっても適切で、相互に心地よい」と判断するのと同じ理由だ。特にエグゼクティブやリーダーが部下や社外の人と接する際には、このような点における自分以外の人への配慮、否、デリカシーが今まで以上に大事になってくるだろう。
「どのような環境でマスクを身につけるか、そしてマスクをどのように扱うか」、その判断を通して、その人のプレゼンスや“人としての資質”が見えてくる。