「コストが安いから」と買い叩くな。途上国からアパレルの変革に挑む

アパレルブランド「banesh」の代表、飯塚はる香

「大量生産や大量廃棄には、本当に何も良いことがない。私はバングラデシュから、その“世界線”を終わらせたい」

そう語るのは、アパレルブランド「banesh(バネッシュ)」の代表、飯塚はる香。ファストファッション業界でその現状を目の当たりにしてきた彼女は、業界に蔓延る課題を解決しようと2020年に起業した。

「ラナプラザ崩落事故」が転機に


飯塚がアパレルと国際協力を掛け算した仕事をしていこうと決意したのは、大学在学中の2013年のことだ。

子どものころから海外に興味のあった飯塚は、大学で開発人類学を学ぶと同時に、NGOのインターンとして開発途上国に行き、現地でのフィールドワークを経験。国際協力の仕事に魅力を感じ、大学を卒業してもその道に携わっていきたいと考えていた。

その想いを強くしたのが、同年4月にバングラデシュで発生した「ラナプラザ崩落事故」だった。複数のファッションブランドの縫製工場が入居していたビルが崩壊し、死者1127人、負傷者2500人以上を出した事故は、当時世界を震撼させた。


2013年4月24日に崩落したラナ・プラザの跡地(2015年)/Getty Images

「縫製工場の劣悪な労働環境と、その背景にある“大量生産”といった問題が明るみになった出来事でした。私はかねてよりアパレル業界の生産・消費サイクルに疑問を抱いていましたが、この事故をきっかけにこの問題に一生をかけて取り組んでいこうと決めました」

ファストファッション業界での下積み時代


大学を卒業すると、経験を積むために新卒でユニクロ(ファーストリテイリング)に入社。店舗運営に2年間携わってからZARA(インディテックス)に転職し、そこでも店舗運営に1年間携わった。

その後はカンボジアに渡り、日系アパレル企業の現地工場で日本人駐在員として品質管理を担当。ここで一度起業に挑戦したがうまくいかず、品質管理の仕事へ戻った。

そして、次なる国、バングラデシュへ。日系のアパレル検品会社で同じく品質管理の職に就き、現地の工場とのコネクションを形成。下準備を経て2020年に、副代表兼デザイナーの稲橋亮佑とともにブランド「バネッシュ」を立ち上げた。
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文=三ツ井香菜 取材・編集=田中友梨 撮影=杉能信介

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