ヤンの最初の事業であるスタートアップは、非営利団体の資金集めをする慈善家のセレブリティを支援するためのものだったが、「(本人いわく)見事なまでの」失敗に終わった。
ヤンは次に、友人が興した、小さな大学院受験のための予備校「マンハッタン・プレップ(Manhattan Prep)」を、1100万ドル規模の売上を持つ企業に育てあげた。そして2009年に、同社を業界大手のカプランに、「数千万ドル台前半」で売却した。
そのあとに始めたのが、大学を卒業した若者たちの起業を支援するNPO法人「ベンチャー・フォー・アメリカ」だ。ヤンはこの組織について、最も職を必要としている各地の都市で10万人の仕事を創出すると約束していたが、ニューヨーク・タイムズの報道によれば、2021年5月現在で150人前後の雇用にとどまっているという(ヤンとベンチャー・フォー・アメリカにコメントを求めたが、返答は得られなかった)。
表面的に見れば、ヤンの政治キャリアも、成果という点ではそれと大差ない。台湾系の移民2世であるヤンは、米国史上屈指の知名度を誇るアジア系の公職選挙候補者だが、2020年3月には、宣伝に多額の資金を費やしたにもかかわらずアイオワ州の党員集会で誓約代議員を獲得できず、大統領予備選から撤退した。
その後の2021年6月には、ニューヨーク市長選へ向けた民主党予備選に立候補していた13人の中で、最初に撤退した。
ワン・フォー・デモクラシーへの寄付は、ヤンの最新の行動事例だが、それにより、あるひとつのことがはっきりしつつある。選挙に勝つとか、財産があるとかといったことには関係なく、ヤンはちょっとしたセレブリティになったのだ。
これは、関係者全員にとってウィンウィンだ。ワン・フォー・デモクラシーは、急上昇中の注目度を、さらに高められるビッグネームを確保できる。いっぽうのヤンは、慈善家という新しい帽子を試着できるというわけだ。