孫が切り開いた舞台に、次々と時代を象徴する起業家が登場した。楽天の三木谷康史、ユーセンの宇野康秀、宇野の会社から独立したサイバーエージェントの藤田晋……。
その中でも後に“塀の向こう側”に落ちることとなる堀江貴文は、ライブドアの前身、「オン・ザ・エッジ」の上場を前に社員をこう鼓舞した。
「ソフトバンクなんか怖がることはない。うちらだってなんだってできる。ネットの時代、銀行だって証券会社だって全部ネットに取って替えられるんだ」
孫とは別の意味で、堀江はインターネット時代の申し子だった。
ITビジネスや宇宙事業を独自の手法で実現した堀江貴文は、時代の寵児と目された。
一方、露骨なカネの時代の反動からか、社会課題の解決を目標とする起業家たちが増えたのが2010年代だ。このころのメッセージは「同志」「仲間」に変わる。
その象徴が実は「トヨタ」である。
2020年、米ラスベガスで未来の実証都市「ウーブン・シティ」を発表した豊田章男。
リーマンショックによる赤字転落と相次ぐ品質問題で苦境に立たされたトヨタに、責任を負わされるようなかたちで社長に就任したのが、創業家の豊田章男だった。
社内外で誰も味方がいないなか、2010年、豊田はリコール問題で米議会の公聴会に証人として召喚。3時間半に及ぶ追求に晒された。
ところが、公聴会後に出演した人気番組「ラリー・キング・ライブ」で、最後に「あなたはどんなクルマに乗っているのですか?」と質問されると、「私は年間200台以上のクルマに乗ります。私はクルマが大好きです」と、自動車への愛情を語った。
すると、世論の潮目が変わったのだ。
公聴会後、心配して集まった米国のトヨタ工場や販売会社の社員たちを前に、豊田が涙を浮かべてこう言ったという。
「I was not alone」
そして帰国直後、豊田は豊田市の本社で2000人の社員を前にスピーチを行った。「米国のディーラーたちを守るために自分は戦っていたと思っていたが」としゃべったところで彼は言葉をつまらせた。
「実は……この人たちに自分は守られていたんだと気づかされ……本当にトヨタの一員で良かった……」
このスピーチに会場はあちこちではすすり泣く音が聞こえたという。ある幹部は「何があっても章男さんを守る、トヨタを守る」と語っていた。経営者がメッセージを伝えなければならない相手は、間違いなく目の前の社員たちなのだ。
かつて「I was not alone」と言った豊田は、2020年1月、ラスベガスでのウーブン・シティの発表会で世界に向けてこう語っている。
「万人に幸せを届ける」
児玉 博◎1959年生まれ。大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。2016年、『堤清二「最後の肉声」』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』など。