阪大「伝説の講師」がプレゼン資料を用意しないイケズな理由

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サポートが必要な方が聴衆にいても、「当たり前」になる


そんな風にしていますが、手話通訳者、あるいは発言の文字起こし担当者がいらっしゃる場合は、事前の打ち合わせで、今日はこんな単語を使うかもしれないという話をします。

ただ、ライブ感を大切にしているので、当日壇上でも聴衆の皆さんの前で、それらの方々にこんなふうに話しかけます。「どうぞよろしくお願いします。もし、私の喋りが早くなってわかりにくかったら、気にせずに止めてくださいね!」。

そのあと聴衆の皆さんには、「今日は手話通訳の方が入っておられます。私の喋りが訳しにくそうで手話通訳の方が困っておられそうな感じなら、私に『困ってはるでー!』と伝えてくださいね!」とお伝えします。

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わかりにくい単語、たとえば専門用語とか、外来語を話した場合は、スピードを下げて、説明を加えて何度か言うようにしていますが、これはハッキリと話をしないと聞いている人に伝わりませんし、多言語での通訳を介すときも同じ要領になりますよね。これをすることで、オーディエンスとのインタラクティブなやり取りも、垣根がさがるんです。

そして何よりも、何らかのサポートが必要な方が会場におられることも、当たり前の場になると思うんです。

小さなお子さん連れで来られていて、泣いたら出ようとされるお母さんなども多いですが、私が壇上から「ええ声で泣いてくれてありがとー! 泣くのがお仕事なので、お母さまもどうぞお気になさらずに。ここの会場に、そんな心の狭い方はおられませんから! ね、皆さんそうですよね?」と言い切ると、不思議に会場から、子どもの声で不快そうにされていた方からも、しかめっ面も消えるんです。

「谷口真由美は、正当に選挙された国会における……」


とにかく、せっかく貴重な時間を捻出して話を聴いてくださっているオーディエンスとは、インタラクティブなコミュニケーションが重要ですね。話者の熱量を徐々に伝えること、一体感を醸成することこそが、プレゼンテーターとしての責任、オーディエンスへのサービスなのではないでしょうか。

あとは、「大きな主語で語らない」ことも気をつけている点です。主語が大きいと、自分ごととして聴いてくれなくなるんですよね。

どういうことかというと、たとえば日本国憲法前文の1文目も、「日本国民は」という主語ではなく、「谷口真由美は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」として読んでみる。そうすれば、動詞が全部自分にかかってくるんです。

阪大の講義でも、学生たちに、自分のこととして肚落ちするには、主語を自分にすることだ、と話していました。

文=石井節子

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