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2021.10.06

製造、供給の問題を乗り越え、売上倍増を狙うプーマ

プーマのCEO ビョルン・グルデン(Getty Images)

ドイツのスポーツウェアブランド、プーマが上り調子だ。ビョルン・グルデン(Bjorn Gulden)最高経営責任者(CEO)は、自ブランドはさらに成長すると期待している。

グルデンはドイツ紙「ハンデルスブラット」のインタビューで、プーマは長期的に売上を倍増させ、100億ユーロ超に達する潜在能力があると述べた。グルデンはハンデルスブラット紙に対し、プーマの第3四半期は、工場閉鎖や出荷の問題などの課題にもかかわらず、第4四半期の好調を予告するものだと語ったとロイターは伝えている。

市場調査会社NPDグループのスポーツ分野シニアアドバイザー、マット・パウエルによれば、現時点でプーマの売上はほぼ倍増しているという。

「プーマは、米国市場で最も好調なブランドのひとつだ」とパウエルは述べている。「この市場をうまくマネージして事業を適切に遂行すれば、2倍の成長は確かに可能性がある」

プーマは1948年、アディダスの創業者アドルフ(アディ)・ダスラーの兄にあたるルドルフ・ダスラーが創業した。プーマとアディダスがともに本社を置くドイツのヘルツォーゲンアウラハは、ニュルンベルクから14マイル(約22.5km)ほどに位置する、人口わずか2万4000人あまりの都市だ。プーマは、ねじ込みスタッドスパイク「アトム」で有名になった。

サッカーはその後もプーマの主要ビジネスだった。プーマは1958年、流線型をした「フォームストライプ」のブランドロゴを追加した。

さらに、1970年代までには、ウォルト・クライド・フレイジャー着用の「クライド」スニーカーをひっさげてバスケットボール界に参入。1985年には、ドイツのスター選手ボリス・ベッカーのトレードマーク的スニーカーにより、テニス界の上流階級にも加わった。1998年には、若きテニス選手セリーナ・ウィリアムズとのあいだで彼女にとって最初となる大型契約を交わし、ファッションアイコンとしてのウィリアムズの地位を固める先駆けとなった。

しかし2000年代になると、スポーツ業界におけるプーマの地位は打撃を受け始め、21世紀にかけての10年ほどで、売上も実際に落ちこんだ。プーマはもはやバスケットボールやテニスの「プレイヤー」ではなく、サッカーでも、アディダスやナイキに大きく後れをとっていた。実際、フィナンシャル・タイムズによれば、アディダスは2000年代後半にプーマのほぼ5倍の成長を達成したという。

だが、プーマの転換期はすぐに訪れた。2014年12月、プーマはシンガーのリアーナを、グローバルアンバサダーおよび新クリエイティブディレクターとして迎えたと発表し、業界を驚かせた。エンターテインメント業界へのこの進出は、人気を博したフェンティとのパートナーシップをはじめ、ファッションブランドとの新たなコラボレーションをもたらした。

2018年には高機能シューズによってバスケットボール界にも復帰し、以来、ライフスタイルでも高機能スニーカーでも、文化的に重要な地位を保っている。また、新技術の推進や、高機能フットウェア最大の市場であるランニングシューズ分野への進出も継続させている。

翻訳=梅田智世/ガリレオ

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