無数にある競技の中で、なぜ鎌形氏はまず体操競技に着目して研究を行ったのか。
「演技の中で複雑な身体コントロールを行うためには、空間認識力も筋力も、かなり特別な能力を要します。脳にも、より大きな変化がみられるのではないかと考えついたのが研究のスタートでした」
順天堂大学大学院医学研究科放射線診断学の鎌形康司准教授
鎌形氏は、脳や脊髄を扱う神経放射線を専門とする画像診断医だ。普段患者と顔を合わせることはほとんどないが、放射線技師が撮影したCTやMRIの画像をみて診断レポートを行う、あらゆる診療において欠かせない存在だ。
5年前に脳ネットワーク研究のためにオーストラリアのメルボルン大学に留学。また、順天堂大学大学院が元々、スポーツや体操競技への親しみがある機関だったこともあり、実際に研究が行える環境にもあって、今回の取り組みに繋がったという。
また、「脳とスポーツのポジティブな関連性」の研究に強い想いを抱いていた。
「アスリートの脳の研究はこれまで、どちらかというとスポーツのネガティブな脳への影響に関する研究が主だったんです。アメリカンフットボールを題材としたコンカッション(ウィル・スミス主演、2015年)という映画もありましたが、脳震盪を繰り返すことによって早く認知症を発症してしまうとか、うつ傾向になって深刻な場合には自殺してしまうといった、競技に関連した脳挫傷の研究が主体でした。
ポジティブにスポーツの影響を見る研究がほとんどなかったので、その可能性を明らかにしたいと思いました」(鎌形氏)
Photo by Charles Trainor Jr./Miami Herald/Tribune News Service via Getty Images
今後の可能性と課題
今回の研究結果は一時期の検査についての解析によるもののため、この特徴が長期間の集中的な体操競技トレーニングによるものなのか、生まれつき各個人が有している特徴なのかなど、まだわかっていないことも多い。
脳の構造は男女で違うとされているが、女子選手でも同様の特徴は見られるのかといった研究も待たれるものであろう。そもそも個人差の大きい脳を扱う難しさもあるというが、MRIを用いた研究は他に色々な撮像方法や解析法があり、大きな可能性を秘めている。
鎌形氏は現在、他の競技についての研究も始めている。
「競技や種目によって、アスリートの脳の特徴は異なると思います。順天堂大学は箱根駅伝をはじめ陸上競技にも力を入れていますので、学生達の協力によって今データを収集しているところです。まだ解析は終わっていないのですが、どうやら体操選手とはまた違った結果が得られそうです」
今後のさらなる研究が期待される一方、他のスポーツ科学研究などと同様、結果に過度に反応して選手や子供たちの可能性を狭めてしまうリスクなどの課題も想定されるため、「今回含め、研究には倫理的な配慮、管理プロセスをもって臨んでいる」という。
また、スポーツの脳へのポジティブな影響への仮説が、研究のモチベーションになっているとも話す。
「英語学習やジャグリングなど他の分野ではトレーニングの前後で脳に変化が見られたという研究結果が発表されているので、スポーツにおいても、生まれつきによるものにトレーニングの成果がミックスされてもたらされる特徴だと推測しています。そして、この研究がトレーニング効果の客観的評価に役立つ可能性も期待しています」