1980年のモスクワ五輪に向け、締め切り時間ギリギリの競技写真を新聞に掲載するために、デジカメの祖先のような電子カメラ(MAVICA)をソニーと開発することになったのだ。撮像素子はデジタルだったが、当時のメモリー容量は現在の10億分の1(KB)レベルで低速で高価でもあったため、ビデオテープを円盤状にしたディスクにアナログ信号で記録する方式だった。
もともと国威発揚のイベント
スター・ウォーズの次回作を準備中のルーカス監督がソニーを訪問して、将来の映画にも使えると興味を示したと聞き期待感が高まったが、肝心のオリンピックはソ連(ロシア)のアフガン侵攻で日本を含む西側諸国がそろってボイコットし、その電子カメラの出番は次のロスまではなかった。
1964年に東京で開かれたアジア初のオリンピックは、新幹線や高速道路、カラーテレビと一緒になって、日本を国際社会の一員と感じさせてくれる、スポーツによる世界平和と経済発展の一大イベントに思えた。しかしそうした幻想は、次のメキシコ五輪の黒人差別事件やその次のミュンヘン五輪でのテロ事件で次第にほころび、モスクワ五輪で破綻した。
今回の東京五輪ではまたしても、コロナ禍があぶり出した政治や社会の機能不全のせいで、平和と繁栄という美名の裏にある負の部分が見え隠れすることになった。
そういう今だからこそ、もともとオリンピックとは何だったのかを振り返るべきだと思う。それは端的に言って、フランス革命で王侯貴族が没落し、世界規模で拡大した産業革命以降の帝国主義と植民地支配、国民国家間の闘争がもたらした、19世紀以降の近代の世界秩序の再編成のため装置だった。
近代オリンピックの父とされるクーベルタン男爵はフリーメーソンで、イギリスを訪れてラグビーにはまり、この国がナポレオンを破ることができたのは、植民地支配のため上流階級の子弟にパブリックスクール(私立校)でスポーツ教育を奨励したせいだと考えるようになった。そしてその後、普仏戦争で惨敗したフランスを復興させ強国にするためには、英国式にスポーツを奨励する国際大会を開催すべきだと考え、その正統性を謳うためにヨーロッパ文明の源流とも考えられる古代ギリシャのオリンピックのイメージを使った。
そして1896年にアテネで第1回が開かれたものの、当初は男性のみで走ったり跳躍したりする競技がメインで規模も小さく、世界平和や経済どころかサーカスの見世物の延長線上のような変わった競技会扱いで大した人気はなかったという。