いったいなにをするのか?
昔はアルファベットを使う言葉は、外来語か企業名か放送局などのコールサインぐらいしかなかったが、パソコンが出現し始めた1980年代に米国由来のテクノ用語が爆発的に増え始めた。ASCIIにCRTとTTYにつながるROMやRAMが増えたBASICの走るDOSマシンの話が出ていた…などと言われて、すぐわかるのはオタクしかいなかった。
YMOがデビューしCDが売り出され、ファミコンのゲームにピコピコ電子音が使われ、アメリカではハッカーと呼ばれるコンピューターオタクが出現し、IDとかパスワードという謎の呪文を使わなくてはならなくなり、何かデジタルな雰囲気が世の中を席巻し始めた頃だった。
日本電信電話公社(NTT)が民営化されて公社が株式会社(こちらも略称はNTT)になり、パソコンという意味不明な機械が売り出された頃だが、デジタルという言葉を理解できる人は少なく、「ニューメディア」(New Media)という言葉が世間で使われるようになった。デジタルを使っているという意味で新しいメディアなのだが、和製英語で海外では通じなかった。しかしそれが、何か違う世界が訪れるという期待感を込めた流行語になった。
この言葉を聞いて、誰もが思い浮かべたのはNTTが21世紀をにらんで提唱した未来の電話ネットワーク社会をイメージしたINS構想だった。Information Network Systemという英語の頭文字を並べ、高度情報通信システムと訳されたが、実態が見えず「(I)いったい(N)なにを(S)するのか」の略ではないかと皮肉られた。
電話事業が飽和状態になりつつあったNTTにとって、電話網のデジタル化とコンピューターを使った情報処理サービスによる新たな事業開拓は急務だったに違いない。
戦後に電話や電信網を復興しようと、1952年に設立された日本電信電話公社は、最初は電話を普及させ、全国に即時につながるよう事業を進めたが、それが達成された後は、民営化を控えて、いったいなにをするのか? が見えなくなっていた。
すでに東京と大阪の間などの長距離間や電話局の間は、効率化や高品質化のために音声をデジタル信号にして送る話は進んでいたが、電話局から家庭やオフィスまでの回線はアナログのままだった。もし電話網をすべてデジタル化すれば、音声以外のコンピューターのデータや電信などの異種のネットワークもまとめて情報を送ることができ、こうした“大統一理論”の理想像として、INSという名のもとに次世代ネットワークが構想された。
INSと言われても分からないので、実際にどんなことができるかを具体的に示そうと、1984年から三鷹や武蔵野周辺でINSモデル実験が始まった。光ファイバーを用いた高速通信やISDN(Integrated Services Digital Network:統合デジタル通信サービス網)という規格のネットワーク(サービス名はINS64やINS1500)が目玉商品で、特に人々の眼を引いたのは、家庭で使える情報端末だった。
それはキャプテンシステム(CAPTAIN System、Character And Pattern Telephone Access Information Network System)と呼ばれる、また意味不明な英単語を並べたものだった。